バンドワゴン効果を使ってこそFGI

池谷裕二先生の『ココロの盲点』ネタシリーズの第6弾。今回はバンドワゴン効果。この認知バイアスは相当シリアスです。基本は(社会的)同調圧力で、そのさきに「集団的両極限化現象」があります。

インタビュー調査、特にフォーカスグループインタビュー(FGI)はこのバンドワゴン効果を積極的に活用します。これを活用しないと個別インタビューを集団で行ったという結果しか得られません。グループインタビューは単なる他人の集団ではなく、あるテーマについて話し合う関係性の深い集団をつくることです。他人同士の集まりから、ある目的を共有した集団になるわけです。そこには当然、場の雰囲気、つまり、同調圧力の方向性ができます。この同調圧力の方向性をコントロールできるモデレーターは優秀といえるでしょう。クライアントから「誰々さんの意見・発言に引っ張られた」などと気づかれず、「誘導しましたね」などと非難もされずに思った方向に同調圧力を作り出すのです。もちろん、100%コントロールはできません。

バンドワゴン効果が強く働いたFGIは、「盛り上がった」「よい意見が聞けた」との評価を受けます。そして結果レポートもFGIに参加した人(クライアント)には評価されます。しかし、バイアスのかかった結果なので、次のFGIでは違う方向に同調圧力を向かわせないと偏った結論になります。この同調圧力バランスをとることで、市場や消費者について深いインサイトが得られます。

さらに、FGIではあるテーマを2時間くらい数人の集団で議論(話し合い)するのですから、同調圧力とあいまって、集団的両極化現象も観察できます。あるコンセプトの評価が最上級のグループとミソクソのグループが現れることがあります。インタビューの初期の段階では曖昧な意見も後半では、「良い」「悪い」のどちらかに極化してくるのです。ハタで見てると結論に向かって議論が進んだように見えますが、集団的両極化現象が現れただけかもしれないのです。

このあたりの認知バイアスを考慮しないと結果的に「調査は使えない」との間違った認識をクライアントに持たれてしまいます。ただ、バンドワゴン効果は必ず発生するし、集団的両極化現象もほぼ確実に出て来るのです。

後知恵バイアスはバイアスか

池谷裕二先生の『ココロの盲点』ネタシリーズの第5弾。今回は後知恵バイアス。ことが起こってから振り返ると「前もって予測できた」「本当なら実行できたのに」と思いがちなのが人間です。例にあがっているのは、遅刻しそうになっていつもと違う道を選んだら、工事中で遅刻してしまった。という状況での感情は「しかたない」ではなく「いつもの道を行けばよかった」になるというものです。

自分の行動に関しての後知恵だけでなく、社会現象、マーケットの現象でも後知恵バイアスは観察されます。(本来的には池谷先生の言う後知恵とはちがうかも)トランプが選ばれてからは自分も「そうなる可能性はあった」から時間がたつと「オレはそうなると選挙前からわかっていた」と変化する自分の意見・思いに気づきました。

消費者調査でもヒット商品については「私はヒットすると思っていた」と発言する人(対象者)が多く、更にはその理由まで述べることがあります。その理由は「聞きかじり」が多いのですが。我々としては、何故、あなたはこのヒット商品を買ったのかを本人の意識や心理にもとづいて聞き出したいのにステレオタイプの後知恵が邪魔して「そんなこと当たり前じゃない」以上の発言が引き出せません。マーケットで起こっていることの解釈は全て後知恵バイアスと言えるかもしれません。

マーケティングでは「自分ごと」になっていないとして一般論に逃げ込んだ消費者をなんとか「自分ごと」として捉えてもらって、後知恵バイアスを避けようとします。その他、アウラが開発した「メタファー法」も後知恵バイアスのステレオタイプから消費者(対象者)を救い出す方法です。

まあ、「確率思考」を身につければこの後知恵バイアスは簡単に解消するのですが、やはり、人は確率思考が苦手なのでしょう。

常套手段の情報フレーミング

池谷裕二先生の『ココロの盲点』ネタの第4弾。今回の「情報フレーミング」はマーケティングの世界では常に活用されている認知バイアスと言える。

池谷先生の事例は、ダイエット進行中の人が肉を買いに来た時、「赤身75%」「脂身25%」の2つの表示ではどちらを選択するか。という問いかけで、当然、「赤身75%」が選択される。全く同じ内容の肉が表現の違い(フレーミングの違い)で選ばれやすくなる。追い打ちをかけるように、我々がよく体験する「もう、今年も半年過ぎてしまう」と焦る5月末と「今年もまだ半年以上残っている」と余裕をかませる5月末の違いも情報フレーミングであると例に挙げている。

この情報フレーミングの使い方は、マーケティング、特にコミュニケーション関連の優劣を決めるポイントである。ターゲットの心理状態や嗜好に合うように情報をフレーミングしてあげることで同じ商品・ブランドのイメージが大きく向上する。マーケターは情報フレーミングという認知バイアスを利用している意識はなく、表現のアヤのように考えている。

MRの報告書で認知者40%、非認知者60%との集計結果が出た時、「すでに40%もの認知率を獲得している」とコメントするか、「まだ、40%しか認知率がない」とコメントするかで報告書の雰囲気が大きく変わる。非認知者の60%の数値も「まだ、開拓余地が大きい」とコメントした方が積極的な報告書になる。(もちろん、状況によりけり)

情報フレーミングと少し違うが、現場で数字を出すか出さないかで悩む場面がある。例えば、ある商品で減塩を訴求しようとしたとき、ただ「減塩」と表記するか「20%減塩」と表記するかで、どちらが効果的かということである。100%か0%であればたいした問題にならない。少し前までノンアルビールが、アルコール分0.2%、現場0.1%などと競っていたが、今は0%で落ち着いている。減塩の場合、100%塩分を抜くと商品として成立しないので減塩率を数値で評価すかどうかが大きな問題になる。インスタント味噌汁など半分(50%)も塩分を抜くと、味はみそ汁ではなくなるらしい。10%抜くだけでも味とのバランスが大変らしく、今のところ数字を出さずに「減塩」訴求している商品が多いようである。

 

擬似的空間無視とアイトラッキング

池谷裕二先生の『ココロの盲点』ネタの第3弾。今回は認知バイアスは擬似的空間無視、リサーチはアイトラッキングがテーマです。

擬似的空間無視とは、「一般に右利きの人は、視野の左側を重要視します。映像処理は右脳のほうが得意だからです」と説明されています。例として男性の髪型で右分けと左分けのイラスト(反転すれば全く同じ絵)を呈示し、どちらが魅力的かを聞くと右分けと答える人が圧倒的に多い。ということを上げています。自分も「右分け」を選択しました。

頻繁ではありませんが、アイトラッキング装置を使ったリサーチを行います。パッケージデザインのテストやチラシなどのレイアウト評価に使うことが多いようです。このアイトラの分析での法則があります。チラシなど四角形の画面をアイトラッキングさせると、画面の左上にまず、注目してそこに視線がとどまる時間も長く(よく注目している)次に斜め右下に移って、最後が右下を中心にした外周となります。確かめてはいませんが、左から文字を書く文化圏(アラビア文字)でも同じ反応だそうです。文化には関係なく進化論的理由なのかもしれません。

アイトラでよく使われる棚割りでも消費者の視線は左から右に動くことが観察されています。(いわゆる視線の高さのゴールデンゾーンを左から右に動くから、新製品は棚の左側に置け。となります)

この視線の動きのクセはWeb画面でも再現されます。わからないのは丸い画面や三角形だったらどうなるのかということです。普段は大きな関心を持ちませんが、認知の前の生理的なクセ(バイアス)も時々は考えるべきでしょう。

確証バイアスとマーケティング

池谷裕二先生の『ココロの盲点』をネタにマーケティングリサーチを語る第2弾。今回は、最もよく話題になるのではないかと思っている「確証バイアス」 池谷先生は、我々の脳は、「自分の仮説や信念」に一致する例を重要視する傾向があると、確証バイアスを説明している。

確証バイアスはマーケティングリサーチに限らず世の中にあふれている。このバイアス抜きの認知を得るには全てに統計学的検証が必要になる。統計学から一番遠いのが我々が生活する社会である。

まず、リサーチを企画するマーケターにもこの確証バイアスがある。「キャンペーンは売上数を増やす」との認知はキャンペーンをやるたびに強化されるかというとそんなことはなく、売り上げ増に貢献しないキャンペーンもある。しかし、担当者はそういった結果は無視し、効果的なキャンペーンだけに注目する。この確証バイアスに意識的にならないとマーケティング施策の革新は生まれず、マンネリ化する。

池谷先生は、「雨男(女)、晴れ女(男)」や血液型性格を確証バイアスに挙げているが、我々がリサーチでよく使う「対象者特性」の多くも確証バイアスかもしれない。高感度層(人間)、イノベーター度、インフルエンサーなどは、いくつかの質問への反応数などで指標化するのでバイアスは少ないだろうが、自動車に関しては高感度だが住宅については関心なし、というようなことは頻繁にある。なのに一度高感度人間と分類すると他の分野でも高感度としてしまい、「やっぱりね」という情報にしかアクセスしなくなる。

インタビューの対象者の確証バイアスはたくさんある。いっとき、FGIの自己紹介で「自分は他の人からどんな人と言われているか」を発言させたところ、5人のうち3人が「よく天然と言われる」との回答だった。3人も天然\がいたらグループインタビューは難しい(あるいは簡単すぎる)と思い、「どうしてそういわれる?」と質問を返したら直近での友人、家族との会話で説明された。(今朝も娘に言われた)

この程度ならかわいい(テーマに関係ない)ものだが、あるブランドの購買理由が価格(安いから)であった場合など、対象者は直近の買い物時の価格ではなく、体験した「最安値」の発言をする。このブランドはいつも安いという認知が仮説よりも信念になってしまって「安かった」情報だけにアクセスするようになったのであろう。ただ、価格のように数値表現できるものは確証バイアスは比較的簡単になくなるが、健康食品、サプリメントの「効く」「○○にいい」は確証バイアスそのものである。「効く、いい」との信念を先に作って(認知させて)しまえば、効果があったような気がした時だけアクセスするので、ラクな商売ができる。

マーケティングは確証バイアスを強化する戦略を取った方がよいのか。ほんとうか。

 

利用可能性ヒューリスティックと質問文

池谷裕二先生の『ココロの盲点』をネタに定性調査の質問の仕方、定量調査の質問文の作り方の注意点をシリーズで書いていく。今回は第1回。

 

①古くから「愛の力は金にまさる」と言われますが、そう思いますか

古くから「金の力は愛にまさる」と言われますが、そう思いますか

の2つの質問文はどちらも過半数の「そう思う」回答を得る。という事例を上げている。

これは利用可能性ヒューリスティックで脳は思い出しやすい情報に影響されるということである。「こんなに簡単に思い出せるのだからそうなのだろう」と判断してしまう。

愛の力が金にまさる事例も金の力が愛にまさる事例も簡単に思い浮かべられるので「そう思う」と回答してしまう。

ここで、リサーチの立場で言うと古くから「・・・・」と言われますが、の質問文が問題である。ダブルバーレル的質問である。古くから言われていることの認知と愛と金とどちらがまさるかの質問がダブって入っている。

本来は、古くから言われていることを知っているか、の質問と愛と金はどちらがまさると思うかの質問を別々にすべきである。

マスコミ関連ではこの利用可能性ヒューリスティックを使うことが多い。例えばあまり浸透していないコトバの認知度を取るとき、しかもその認知率が高いことが報道上有利な場合などに使われる。「・・・という報道がありますが」「・・・という人が多いということですが」などヒューリスティックを直接的に表現している場合がある。

最近、ある会社が実施した『母親に聞いた!「AIとSTEM教育に関する意識調査』というレポートでは、質問文が「Q3 2020年から小学校でプログラミング教育が必修化されるとの報道があります。あなたはそのことをご存知でしたか?」とプログラミング教育必修化の認知を聞いている。(報道を知っているか、報道内容を知っているかの2つがまぜこぜで質問されている)明らかに認知率が高い方に誘導したい調査者の気持ちが出ている。プレス発表が目的の調査ならおおめに見られるが、企業のマーケティングのための調査では禁じ手である。

 

マズローの発展5段階説

欲求段階解説のマーケティング的解釈の備忘録

 

1980年代にマズローによって提唱された人間の欲求の発展段階説。

ヒトの成長、発達段階を順を追って解説したもので、生物としての存在からやがては唯一無二の「何か」になろうとする人間の欲求を5段階に分けた。(のちに宗教的ともいえる6段階目を持ち出したそうである)

第一段階は生理的欲求である。

生きていくために最低限必要な食べる、排せつする、眠る欲求でこれのどれかが決定的に不足すると生きていけない。

第二段階は安全欲求である。

環境(天候・気候)や外敵から身を守る欲求である。寒暖・雨風雪から身を守る衣服、住居や野生生物や他(同じ)共同体の人から攻撃を撃退しないと生きていけない。

第三段階は社会欲求・愛の欲求と言われている。

これは関係性欲求と自分は解釈している。群れや家族単位を超えた関係性を持ちたいという欲求である。愛まで行くとキリスト教的価値感が色濃く感じられるので、一人では生きていけない社会的な関係性を持ちたいとの欲求が社会を形成して生きるヒトには必要である。くらいの解釈である。

第四段階は承認欲求である。

これも関係性欲求と解釈できるが、単なるつながりではなく「なくてはならない人」と誰かに認められたいという欲求である。単なるネットワークのノードではなく確かなハブになりたいとの思いと言えるか。Webの発展で誰もがこの承認欲求の地獄を見るようになってしまったのが現在、ともいえる。

第五段階が自己実現欲求である。

普遍的価値、芸術的価値を生みたいという欲求と解釈されるが、もっと一般的に一種の「悟り」かもしれない。諦念的なことは除いて、周囲の価値判断を尊重しつつももそれに流されるだけであくせく行動するようなことがなくなる状態であろう。コンセプチュアルな欲求である。

 

以上の発展段階説をチョコ菓子「キットカット」のマーケティング的解釈に使ってみたい。

第一段階は生理的欲求だが、お菓子で言うと「お菓子としての基本的なスペック」である。素材、製造過程についてそろえなければならない要素である。

第二段階の安全欲求はパッケージングと解釈できる。安全・清潔に崩れることなく消費者の元に届けなくてはいけない。

第三段階と第四段階は一緒に扱って、コミュニケーションにまとめられる。キットカットというネーミング、パッケージデザイン、広告、キャンペーンを含めていわゆる「情報価値」の演出である。これがないと消費者の承認は得られない。後、流通の確保もここに入る。

第五段階がコンセプト、ベネフィットである。第四段階までのマーケティングミックスを差別性のある魅力的なコンセプトに仕上げなくてはいけない。ここまでたどり着けばブランドとして社会的(市場・消費者)に認められる。

 

以上のように一見、切れ味の鈍いように見える発展段階説は、ラダリング分析の時などは、はっきりと意識的に使うべきである。