巨木は異形の人

ひと月前くらいから、にわか巨木ファンになっている。理由は簡単で自転車を乗る目的が欲しくなったからである。自宅から行って帰れる程度の峠はほぼ全て制覇してしまい、あとは輪行するか、泊まりか、1日で200kmを覚悟するかしかなくなった。輪行はやってみたいが、泊まりでチャリに乗るほどの体力・気力はないし、1日200kmオーバーはたぶん走れないし、走ったとしても翌日死ぬ。ということで「どこ行こうか?」とGoogle先生のMAPをみていたら、あちこちに巨木のマークがあるではないか。これ目的に走れば、半年くらいは持つのではないか、とのことで巨木巡りが始まった。

高麗神社が往復50km弱でちょうどよい距離なのでこのところ毎週のように行くようになったのでその近所で巨木マークを探した。そしたら、カミさんが末期がんで入院していたころ3日に1回はチャリで通っていた道路のわきに「高麗川神社(高麗神社とは別)のタブノキ」とあるではないか。早速行ってみた。なかなかのボリューム感で感動的であった。(事前に詳しく調べないで行くのがよさそう)1本の木(実は合体しているらしい)で「森」を形成しているような景観であった。

同じ日に西入のビャクシンをめざした。坂戸市に着いたがなかなか見つからない。うろうろした挙句にあっけなくみつけたが、神社そのものが結構さびれていた。ねじ曲がったビャクシンの木は元気さはないが風格というか老境を感じさせた。もっと地元で適当なパワースポット伝説でもでっち上げて整備すれば観光資源になりそう。(ただ、アクセスは不便なようだ)

先週は五日市方面を攻めた。「地蔵院のカゴノキ」も迫力があった。お墓が近くにあり、ちょうどどこかの家の法事をやっていたせいか、死者の魂を吸い込んだのかと思ったが、自分はそういった霊感みたいなのはゼロである。次は日の出町天正院の「オオイチョウ」である。途中でチャリでこけて擦り傷を抱えて対面したオオイチョウも院の石段のわきで大きな狛犬のようであった。ただ、イチョウは他でもよく見る木なので「うん、イチョウだな。でかいな」程度で霊験的な印象はなかった。この帰りに2回落車してこの日はツキがなかった。

そして今日は、2週前の高麗川神社の近くにあったのを見逃していたので行ってみた。高麗川沿いの鄙びてはいるが趣のある神社の横に「多和目のカゴノキ」はあった。これも迫力があった。巨木らしい趣があった。多和目に行く前に高麗神社のヒノキの巨木も見たが凡庸な木に思えた。

次週はどこへ行こうか考えているかというとそんなことはなく、気が向いたときの行き当たりばったりで、行こうとする、行ってきた巨木についても詳しく調べようともしない。チャリ乗りの目的地であればいいのである。ただ少し、つらつら考えるに巨木というのは木の中でも「異形の木」になってないと面白みがないのでは。杉の林の中に太く大きな杉の木があってもそれは自分の巨木ジャンルにはいらない。周囲の景色・背景を無にし、おのれの個性を強調する「異形」でないといけない気がする。江戸時代のお相撲さんがアスリートではなく「異形の人」「魔界からの使い」みたいな位置づけで人気があったことに通じるようである。平成から令和に変わるこの時代「差別性」を排除するコンプラ全盛だが、異形とか魔人を期待する「差別」性は我々の心の中に棲んでいると思う。1本だけで光と闇(神と魔)を映し出してしまう力がないと巨木ではなく「でくのぼう」にしかなれない。