あと何回の読書

何十年か前に朝日新聞か日経かに小泉なんとかさん(確か発酵学の権威)の「あと何回の夕食」というタイトルの連載コラムがあった記憶がある。熱心には読まなかったがあと何回飯が食えるかという発想が面白いと思った。同時期に邱永漢さんが「数千万円の投資の決断は一瞬でできるが、今日の昼に何を食うかは朝から悩み、迷い、簡単には決まらない」と言っていた。そんなこんなで自分もいろいろなことで「あと何回の」が実感できる年齢になった。そして、あと何冊くらいの本が読めるか、を考えた。今まで何冊読んできたかもわからないのだが、それを数えるより、これから先、何冊読めるかを考える方が楽しい。なんとなく振り返ると学生時代から仕事をするようになってからも本の選択は「読みたい」気持ち重視だったはずが、いつの間にか「何かの役に立つ」「自分の蓄積になる」との潜んでいた功利的な考えが、近年、前面に出てきていたと感じた。「快楽としての読書」視点が弱くなっていたわけだ。

そう考えたかどうかわからないが、先日、本屋で「今日は今まで読んだことがない著者の本を買おう」と決意した。(それほどおおげさではない)で、買ったのが文庫本で辻村深月「ツナグ」。若い作家らしい。読んでみて面白いのだが、もう一冊読みたいと思わせるほどではなかった。ただ、知らない作家の作品を読んでみることそのことが読書の快楽につながることが確認できた。次回は誰を読もうか。