「死者は生きん」から「去る者は日々に疎し」まで

8月15日は不思議な日だ。死(破滅)に向かっていた日本がなんとか踏みとどまった日だから、その日を出発点として前を、未来を語るべきだと思うが、全体は過去を、その日を向いている。その傾向がなくなるのは平成生まれ生まれあたりからだろうか。戦争の実体験がなくても昭和生まれまでは8月15日の情緒に引っ張られていると思う。自分も戦争を体験した身内はすべて死に絶えていて、何の感慨も浮かばないのにこの日はすべての死者のことを思い出す。命日よりも確かである。マスコミがこぞって取り上げることで起こる心的現象だが、日本全体が死者を、過去を向いている印象が強い。

20ケ月前に死んだ妻も同じように8月15日に祀られる人になったようだ。1年くらいは「生者ある限り、死者は生きん」との感覚が強かったが、最近は「去る者、日々に疎しい」になっている。時間の力は偉大である。享年62歳だから早いといえばそうだが、残念、もったいない、というほどのものではない。こちらも死に近い年齢だから一層、早く疎くなっているのかもしれない。若い人から言わせると「愛が足りない」との非難があるかもしれないが、それはそうだと言うしかない。時間の経過はすべてを癒やしてくれるのだ。残された宿題も含めて疎くしてくれる。

あと何回の読書

何十年か前に朝日新聞か日経かに小泉なんとかさん(確か発酵学の権威)の「あと何回の夕食」というタイトルの連載コラムがあった記憶がある。熱心には読まなかったがあと何回飯が食えるかという発想が面白いと思った。同時期に邱永漢さんが「数千万円の投資の決断は一瞬でできるが、今日の昼に何を食うかは朝から悩み、迷い、簡単には決まらない」と言っていた。そんなこんなで自分もいろいろなことで「あと何回の」が実感できる年齢になった。そして、あと何冊くらいの本が読めるか、を考えた。今まで何冊読んできたかもわからないのだが、それを数えるより、これから先、何冊読めるかを考える方が楽しい。なんとなく振り返ると学生時代から仕事をするようになってからも本の選択は「読みたい」気持ち重視だったはずが、いつの間にか「何かの役に立つ」「自分の蓄積になる」との潜んでいた功利的な考えが、近年、前面に出てきていたと感じた。「快楽としての読書」視点が弱くなっていたわけだ。

そう考えたかどうかわからないが、先日、本屋で「今日は今まで読んだことがない著者の本を買おう」と決意した。(それほどおおげさではない)で、買ったのが文庫本で辻村深月「ツナグ」。若い作家らしい。読んでみて面白いのだが、もう一冊読みたいと思わせるほどではなかった。ただ、知らない作家の作品を読んでみることそのことが読書の快楽につながることが確認できた。次回は誰を読もうか。

カルデサック

30年以上前、原宿のレナウンの本社があった付近にカルデサックというレストランがあった。その名の通り袋小路、どん詰まりに普通の民家のようにあったし、ネットもない時代だったので、知らない人は訪れることができない。広く知られることもない「隠れ家」であった。記憶だけだが、広くない店内の真ん中のテーブルに天井まで届きそうな生花がいけてあり、それが客同士の視線を遮って個室感がつよかった。この花が毎週のように入れ替わっていたので相当お金がかかっていたはずである。フロア係はイケメンで無口なお兄さんひとりだけで、ベタベタせず、つっけんどんでもない非常に間合いの取れた客あしらいのできる人だった。我々が行くのはグルインが終わってからだったので9時半過ぎであったが、大概われわれ以外の客はいないか、少なかった。料理はオイルサーディンのチャーハンが絶妙でいつもこれを食べていた。メニューの数もすくなかった。ワインはたくさん用意されていてイケメン兄さんも詳しかった。この店で初めてボジョレヌーボーなるものを飲んだと思う。それまではボジョレヌーボーって家で飲むものと思っていた。値段は手頃だったし、インテリア、食器も凝っていたので長く持たないと思っていたが10年近くは続いた。しかし、やはり、店は閉まっていた。

で、カルデサックでググッたら本来は都市計画用語で意図的に袋小路を作り、その先端に円形の交差点を作る市街地計画を言うらしい。袋小路なので通り抜けの車や人がなく、住民に静かな環境を提供できるのがメリットとのことである。もうひとつググった結果としてポランスキーの映画にカルデサックというのがあった。観た記憶があるようなないような、ジャクリーンビセットが出ていたらしく、そうなると観た気がしてくる。お店にもポスターがあったようななかったような。で、事によったらオーナーはポランスキーの映画のような退廃的な店を作りたかったのかもしれないと思った。採算とかマーケティングとかはとりあえずおいといて、ポランスキーの世界の店を作るというのは羨ましい。

我が人生が袋小路に紛れ込んだ状態の今、カルデサックに積極的な意味を与えたかった。

巨木は異形の人

ひと月前くらいから、にわか巨木ファンになっている。理由は簡単で自転車を乗る目的が欲しくなったからである。自宅から行って帰れる程度の峠はほぼ全て制覇してしまい、あとは輪行するか、泊まりか、1日で200kmを覚悟するかしかなくなった。輪行はやってみたいが、泊まりでチャリに乗るほどの体力・気力はないし、1日200kmオーバーはたぶん走れないし、走ったとしても翌日死ぬ。ということで「どこ行こうか?」とGoogle先生のMAPをみていたら、あちこちに巨木のマークがあるではないか。これ目的に走れば、半年くらいは持つのではないか、とのことで巨木巡りが始まった。

高麗神社が往復50km弱でちょうどよい距離なのでこのところ毎週のように行くようになったのでその近所で巨木マークを探した。そしたら、カミさんが末期がんで入院していたころ3日に1回はチャリで通っていた道路のわきに「高麗川神社(高麗神社とは別)のタブノキ」とあるではないか。早速行ってみた。なかなかのボリューム感で感動的であった。(事前に詳しく調べないで行くのがよさそう)1本の木(実は合体しているらしい)で「森」を形成しているような景観であった。

同じ日に西入のビャクシンをめざした。坂戸市に着いたがなかなか見つからない。うろうろした挙句にあっけなくみつけたが、神社そのものが結構さびれていた。ねじ曲がったビャクシンの木は元気さはないが風格というか老境を感じさせた。もっと地元で適当なパワースポット伝説でもでっち上げて整備すれば観光資源になりそう。(ただ、アクセスは不便なようだ)

先週は五日市方面を攻めた。「地蔵院のカゴノキ」も迫力があった。お墓が近くにあり、ちょうどどこかの家の法事をやっていたせいか、死者の魂を吸い込んだのかと思ったが、自分はそういった霊感みたいなのはゼロである。次は日の出町天正院の「オオイチョウ」である。途中でチャリでこけて擦り傷を抱えて対面したオオイチョウも院の石段のわきで大きな狛犬のようであった。ただ、イチョウは他でもよく見る木なので「うん、イチョウだな。でかいな」程度で霊験的な印象はなかった。この帰りに2回落車してこの日はツキがなかった。

そして今日は、2週前の高麗川神社の近くにあったのを見逃していたので行ってみた。高麗川沿いの鄙びてはいるが趣のある神社の横に「多和目のカゴノキ」はあった。これも迫力があった。巨木らしい趣があった。多和目に行く前に高麗神社のヒノキの巨木も見たが凡庸な木に思えた。

次週はどこへ行こうか考えているかというとそんなことはなく、気が向いたときの行き当たりばったりで、行こうとする、行ってきた巨木についても詳しく調べようともしない。チャリ乗りの目的地であればいいのである。ただ少し、つらつら考えるに巨木というのは木の中でも「異形の木」になってないと面白みがないのでは。杉の林の中に太く大きな杉の木があってもそれは自分の巨木ジャンルにはいらない。周囲の景色・背景を無にし、おのれの個性を強調する「異形」でないといけない気がする。江戸時代のお相撲さんがアスリートではなく「異形の人」「魔界からの使い」みたいな位置づけで人気があったことに通じるようである。平成から令和に変わるこの時代「差別性」を排除するコンプラ全盛だが、異形とか魔人を期待する「差別」性は我々の心の中に棲んでいると思う。1本だけで光と闇(神と魔)を映し出してしまう力がないと巨木ではなく「でくのぼう」にしかなれない。

 

GANで連歌を楽しむ

昨日、平成最後の金曜日に紀伊国屋書店をヒマつぶし目的で訪れた。1Fの新刊フロアーからしてレイアウトが変わって通路が広くなっている印象。(実は数年ぶりで訪れたことに気づいた)2Fをぶらぶらしていて詩歌のコーナーに気づいた。本を買う目的で書店を訪れたときは立ち寄らないコーナーに足が向いた。通路を挟んで短歌と現代詩が向き合ったレイアウトだった。自分の嗜好から言えば、まず、現代詩に行くはずが、なんと短歌コーナーに吸い寄せられた。平積み、背表紙の装丁の全体が作り出す魅力が現代詩を上回っていた。何冊か立ち読みして「オレも短歌でも始めようか」と思った。1行で完結する、コトバが凝縮したり、キラキラと発散したりするさまは、普段、文字を読んでいるときは全く感じない感覚がよみがえった。最近はSNSの散文ばかり読んでいてこの辺りの感覚が鈍っていたのだろう。買いたい歌集もあったが我慢して現代詩コーナーを振り返った。こっちは平成より昭和の印象が強く知ってる詩人の詩集ばかり、評論も読んだことがあるものが多かった。知らない詩人の詩集を立ち読みしたが、短歌の時のような感動はこなかった。嫌いではないが冗長なのである。そこでまた、短歌の棚に振り返ってしまった。

昨日は、コトバそのものや詩の形式がもつ「チカラ」を改めて感じられた。これも久々。仕事やSNSの文章ばかり読んで、書いていることはいいことではないようだ。言語の分析も「自然言語処理」理論に基づいていては味気ない。ただ、このAIが深耕すると短歌の分析、創作もできるようになるのだろうか。AIにしか味わうことのできない言語芸術というのもおもしろいかもしれない。『GANで連歌を楽しむ』世界の到来。

エピソード記憶とマーケティング

質問紙によるものインタビューによるもののどちらにしろ、マーケティングリサーチの90%以上は対象者の記憶を調査している。記憶にはエピソード記憶意味記憶がある。卒業式が同記憶されているかで2面がある。小学校、中学校、高校の卒業式を体験した人の記憶と小学生が習って憶えた卒業というコトバでは認知内容が違うというのが脳科学の回答である。実体験を伴った記憶の方が鮮明で確たるもので時間の経過に耐え(忘れない)、記憶の改変も行われない。ということは納得的に理解できる。ただ、我々は全てを体験できない。例えば、日本国憲法は誰でも知っているコトバだが、誰も体験はしていない。体験と言っても紙に書かれたものを読んだという体験でありエピソード記憶とはいいがたい。これは意味記憶と言われ、「知識」と呼ばれる記憶体系はほとんどが意味記憶と考えてよい。

この2つの記憶をマーケティング的に考えるとブランディングの基本であるブランド認知の内容に関係してくる。カップヌードルを知っているという回答は、CMや店頭で見たことがある、実際買って食べたことがあるの2つでできている。同じブランド認知でも「見た事がある」と「買って食べたことがある」では大きく違うだろう。前者は意味記憶であり、意味記憶は本質的に「行動喚起力」が弱い。社会的正義を知っていても電車内の迷惑行為を制止する行動はなかなか取らないものである。一方のエピソード記憶は「ヒューリスティック」になっていることもあり、電車内での迷惑行為に意識しないうちに体が動いて「制止」に入り、相手に注意するという連続性がある(場合がある)。ここからマーケティング的な記憶は知識を問うているのではなく体験に基づいたエピソード記憶を問うことになる。エピソード記憶意味記憶よりも「行動喚起力」が強いのだから当然である。カップヌードルを知っていても食べたことのない人の認知はマーケティング的認知とは言えないので、リサーチでは認知の次に必ず購入・食用経験を質問する。ここで、購入・食用経験のない人の認知は差し引いてブランドパワーを測定する。よく言われる、お酒を飲めない20才未満の酒ブランドの認知率や運転免許証のない人の車ブランドの認知率はマーケティング的には無意味なのである。

マーケティング的にはエピソード記憶が重要だとはわかるが、エピソード記憶の劣化や意味記憶の進化も考えないといけない。AIDMAで言うところのAとIは少なくとも意味記憶である。(CMを見る、が体験であれば、エピソード記憶と言えないこともない)その意味記憶の作用でDが生まれ、まさに記憶Mとして貯蔵され、ある時、購買Aを引き起こし、当該ブランドがエピソード記憶になるのである。一方のエピソード記憶では購買頻度の高い商品ジャンルにおいて劣化が起こって意味記憶化する場面がある。カップヌードルを買って食べたのは学生時代でありここ20年食べてないという人のカップヌードルの記憶は殆ど意味記憶化していて行動喚起力はなくなっている場合が多い。(懐かしい味ということで昔のエピソード記憶が蘇る場面はある。こういう作用を起こすブランドがロングセラーブランドなのであろう)こうなった時の記憶はもはやエピソード記憶とは言えず意味記憶と考えるべきであろう。脳科学がいうエピソード記憶意味記憶とは別にマーケティングエピソード記憶意味記憶を定義をはっきりさせておきたい。今回は行動(購買)喚起力の視点で考えた。

 

紫匂う武蔵野

2回前のチコちゃんに叱られるに出ていた歌舞伎役者さんが堀越高校の卒業生で高校の校歌の出だしを歌ったとき、「紫に追う武蔵野。。。」という出だしだった。その時、ふと思ったのだが、小学校はともかく中学、高校、大学とそれぞれの校歌に全て「紫匂う武蔵野」があったことだ。武蔵野の枕詞だろうが、むらさきという花を見たこともその匂いを嗅いだこともない。ということでググってみたら、むらさきという植物の写真を見られたが、もちろん、匂いはなかった。で、写真を見ても近所にこの植物はなさそうであるし、wikiには栽培用はセイヨウムラサキだと言っている。でも、これも見た記憶がない。生まれて以来武蔵野の野辺で生活していたのに、である。ムラサキツユ草は子供の頃よく見かけたのでこれのことを言っていると誤解していた。

そんなこんなで紫匂う武蔵野はどんなイメージ、情景が想定できるかがわからない。wikiの写真で見る限り匂いそうもない花であるし、群生しても意味ある形状になりそうもない。見かけないということは、武蔵野の植生が変化したのかもしれない。江戸城開城以来、武蔵野の田園、畑開発が進み雑木林もなくなったのだろう。関東ローム層が露出していたため多摩川付近も田んぼよりも畑が主流である。玉川上水も江戸市民の飲料水であって灌漑には使われなかった。そうこう考えると「紫匂う武蔵野」の情景イメージがますますあやふやになる。

校歌に使われた「紫匂う」はもちろん明治以降の作詞だが、紫匂うは万葉の時代からの枕詞だと考えた方が妥当だ。言語表現にはこうした「迷子状態」になったものが数多くあると思う。流行語分析とは違って、栄枯盛衰を繰り返した言語表現を研究している人はいるのだろうか。