紫匂う武蔵野

2回前のチコちゃんに叱られるに出ていた歌舞伎役者さんが堀越高校の卒業生で高校の校歌の出だしを歌ったとき、「紫に追う武蔵野。。。」という出だしだった。その時、ふと思ったのだが、小学校はともかく中学、高校、大学とそれぞれの校歌に全て「紫匂う武蔵野」があったことだ。武蔵野の枕詞だろうが、むらさきという花を見たこともその匂いを嗅いだこともない。ということでググってみたら、むらさきという植物の写真を見られたが、もちろん、匂いはなかった。で、写真を見ても近所にこの植物はなさそうであるし、wikiには栽培用はセイヨウムラサキだと言っている。でも、これも見た記憶がない。生まれて以来武蔵野の野辺で生活していたのに、である。ムラサキツユ草は子供の頃よく見かけたのでこれのことを言っていると誤解していた。

そんなこんなで紫匂う武蔵野はどんなイメージ、情景が想定できるかがわからない。wikiの写真で見る限り匂いそうもない花であるし、群生しても意味ある形状になりそうもない。見かけないということは、武蔵野の植生が変化したのかもしれない。江戸城開城以来、武蔵野の田園、畑開発が進み雑木林もなくなったのだろう。関東ローム層が露出していたため多摩川付近も田んぼよりも畑が主流である。玉川上水も江戸市民の飲料水であって灌漑には使われなかった。そうこう考えると「紫匂う武蔵野」の情景イメージがますますあやふやになる。

校歌に使われた「紫匂う」はもちろん明治以降の作詞だが、紫匂うは万葉の時代からの枕詞だと考えた方が妥当だ。言語表現にはこうした「迷子状態」になったものが数多くあると思う。流行語分析とは違って、栄枯盛衰を繰り返した言語表現を研究している人はいるのだろうか。