エピソード記憶とマーケティング

質問紙によるものインタビューによるもののどちらにしろ、マーケティングリサーチの90%以上は対象者の記憶を調査している。記憶にはエピソード記憶意味記憶がある。卒業式が同記憶されているかで2面がある。小学校、中学校、高校の卒業式を体験した人の記憶と小学生が習って憶えた卒業というコトバでは認知内容が違うというのが脳科学の回答である。実体験を伴った記憶の方が鮮明で確たるもので時間の経過に耐え(忘れない)、記憶の改変も行われない。ということは納得的に理解できる。ただ、我々は全てを体験できない。例えば、日本国憲法は誰でも知っているコトバだが、誰も体験はしていない。体験と言っても紙に書かれたものを読んだという体験でありエピソード記憶とはいいがたい。これは意味記憶と言われ、「知識」と呼ばれる記憶体系はほとんどが意味記憶と考えてよい。

この2つの記憶をマーケティング的に考えるとブランディングの基本であるブランド認知の内容に関係してくる。カップヌードルを知っているという回答は、CMや店頭で見たことがある、実際買って食べたことがあるの2つでできている。同じブランド認知でも「見た事がある」と「買って食べたことがある」では大きく違うだろう。前者は意味記憶であり、意味記憶は本質的に「行動喚起力」が弱い。社会的正義を知っていても電車内の迷惑行為を制止する行動はなかなか取らないものである。一方のエピソード記憶は「ヒューリスティック」になっていることもあり、電車内での迷惑行為に意識しないうちに体が動いて「制止」に入り、相手に注意するという連続性がある(場合がある)。ここからマーケティング的な記憶は知識を問うているのではなく体験に基づいたエピソード記憶を問うことになる。エピソード記憶意味記憶よりも「行動喚起力」が強いのだから当然である。カップヌードルを知っていても食べたことのない人の認知はマーケティング的認知とは言えないので、リサーチでは認知の次に必ず購入・食用経験を質問する。ここで、購入・食用経験のない人の認知は差し引いてブランドパワーを測定する。よく言われる、お酒を飲めない20才未満の酒ブランドの認知率や運転免許証のない人の車ブランドの認知率はマーケティング的には無意味なのである。

マーケティング的にはエピソード記憶が重要だとはわかるが、エピソード記憶の劣化や意味記憶の進化も考えないといけない。AIDMAで言うところのAとIは少なくとも意味記憶である。(CMを見る、が体験であれば、エピソード記憶と言えないこともない)その意味記憶の作用でDが生まれ、まさに記憶Mとして貯蔵され、ある時、購買Aを引き起こし、当該ブランドがエピソード記憶になるのである。一方のエピソード記憶では購買頻度の高い商品ジャンルにおいて劣化が起こって意味記憶化する場面がある。カップヌードルを買って食べたのは学生時代でありここ20年食べてないという人のカップヌードルの記憶は殆ど意味記憶化していて行動喚起力はなくなっている場合が多い。(懐かしい味ということで昔のエピソード記憶が蘇る場面はある。こういう作用を起こすブランドがロングセラーブランドなのであろう)こうなった時の記憶はもはやエピソード記憶とは言えず意味記憶と考えるべきであろう。脳科学がいうエピソード記憶意味記憶とは別にマーケティングエピソード記憶意味記憶を定義をはっきりさせておきたい。今回は行動(購買)喚起力の視点で考えた。