GANで連歌を楽しむ

昨日、平成最後の金曜日に紀伊国屋書店をヒマつぶし目的で訪れた。1Fの新刊フロアーからしてレイアウトが変わって通路が広くなっている印象。(実は数年ぶりで訪れたことに気づいた)2Fをぶらぶらしていて詩歌のコーナーに気づいた。本を買う目的で書店を訪れたときは立ち寄らないコーナーに足が向いた。通路を挟んで短歌と現代詩が向き合ったレイアウトだった。自分の嗜好から言えば、まず、現代詩に行くはずが、なんと短歌コーナーに吸い寄せられた。平積み、背表紙の装丁の全体が作り出す魅力が現代詩を上回っていた。何冊か立ち読みして「オレも短歌でも始めようか」と思った。1行で完結する、コトバが凝縮したり、キラキラと発散したりするさまは、普段、文字を読んでいるときは全く感じない感覚がよみがえった。最近はSNSの散文ばかり読んでいてこの辺りの感覚が鈍っていたのだろう。買いたい歌集もあったが我慢して現代詩コーナーを振り返った。こっちは平成より昭和の印象が強く知ってる詩人の詩集ばかり、評論も読んだことがあるものが多かった。知らない詩人の詩集を立ち読みしたが、短歌の時のような感動はこなかった。嫌いではないが冗長なのである。そこでまた、短歌の棚に振り返ってしまった。

昨日は、コトバそのものや詩の形式がもつ「チカラ」を改めて感じられた。これも久々。仕事やSNSの文章ばかり読んで、書いていることはいいことではないようだ。言語の分析も「自然言語処理」理論に基づいていては味気ない。ただ、このAIが深耕すると短歌の分析、創作もできるようになるのだろうか。AIにしか味わうことのできない言語芸術というのもおもしろいかもしれない。『GANで連歌を楽しむ』世界の到来。