絵本とインスタグラム

あるインタビューで20歳の女性が、「ネットを使う時、文章や文字は読まない」と宣言した。「楽天やアマゾンで買い物する時、リコメンドや口コミは見ないのか」とプローブすると「簡単なコメントや文字、価格などの数値は見るが、文章になったらみない、ました長い文章は読まない」「それで買うか買わないか決められる?」「それでないと決められない。文章読みだしたら買わないでサイトから逃げる」とのことで確信的に文章は読まないらしい。この発言に法学部4年生が「確かに長い文章は読まない。六法全書スマホで見ることが多いから、長いものは途中でやめてしまう」との援護射撃があり、少し年上の人から「雑誌にしろ、本にしろ、今までほとんど読んだ記憶がないし、文章を読み始めると(内容が)わからなくなる。との援護があった。バンドワゴン効果もあって、聞いているこちらは「単語は読むが文章は読まない、読めない、理解できない」人たちが一定数固まりでいるとの理解になった。「え!じゃ、雑誌品は読まない?」「雑誌は写真だけパラパラみるが、本は読まない。厚い本は手も出さない」ということであった。この話題は「インスタばっかり見ている、インスタがあれば何でもわかる」という発言から発展してきた。

インスタは、(その店に)行った本人が写真を撮っているので店側が撮った(公式サイト)わざとらしさ、演出がないのがよい。中にはいろいろコメント書く人もいるが基本は読まないで写真だけをざっと見ている。とのことで、案の定、ツイッターは全く見ていなかった。情報はインスタ中心で、インスタで関心を持てば、その先に検索行動がある。インスタのバリアを越えないとマーケティングが成立しない人々の存在が確信できた。(何を今さらのことなのか?)

ここで少し一般化して、インスタに通じるのが絵本なのかと考えて見る。素人が自由に描いた絵本が詰まったサイト。絵の稚拙はカメラでカバーされている。絵本は作家の作品なので、それなりのコンセプトや推敲を経た作品だがインスタは素人が垂れ流す画像の違いはあるが、絵:画像がコトバよりも多い、重視されることは共通である。このとき、インスタだけを見ている人の認識構造と文字・文章の世界が中心の人のそれと何が、どこが、どう違う、のだろうか。インタビューしていてインスタ中心の文章排除の人の認識構造が特に貧しいとも偏っているとも思えなかった。

我々の文明はWebによって「無文字文明」に向かっているのだろうか。

Webは文字を呪っているのかも知れない。