「たまたま」

タレブの「ブラックスワン」と同じ主張をしていると考えて間違いないとおもう。
こっちは相場師ではなく、ムロディナウという理論物理学者の本。原題は「ドランカーズ・ウォーク  ランダムネスはわれわれの人生をどう左右するか」というタイトル。
その248ページ

ランダムな変化の中に整然としたパターンがあっても、パターンがつねに意味をもっているわけではない。そして、意味が存在するときにその意味を知ることが重要であるように、意味がないときそこから意味を引き出さないようにすることも同じくらい重要である。

調査データを眺めていて、そこにあるパターンが発見できれば報告書は完成したようなものだ。その整然としたパターンに意味づけ(読み込み、ストーリーづけ)をすればよいだけだ。その報告書が間違っている場合は、
・パターンに誤りがあった。 → 再集計
・意味づけ(解釈)を間違えた → 再分析
となる。これは日常的に経験していることだ。

しかし、発見したと思ったパターンが単にランダムネスによる意味のないパターンだったということは普通は気づきようがない。
物理学ではそんなことは山ほどあるだろうが、社会科学、ましてやマーケティングリサーチの世界ではほとんどあり得ない。
むしろ、意味のないパターンに無理矢理意味づけることが社会分析、市場分析といえる。「小泉改革によって格差が広がった。」などはパターンも見ずに意味づけだけがまかり通っている例だ。

これはカーネマン、トヴァスキーのバイアスやヒューリスティックスという概念で経済学が最近注目しているものと同じと考えてよい。
さらに「知らないことはない」という思い上がりを捨て、知らないことがあるということを知る「無知の知」を戒めと通じるものがある。