ヤンキー文化論序説

五十嵐太郎さんの編著で最近出た本です。
ヤンキーの定義がはっきりしませんが、オタク文化論が行き詰まった(?)現在、オタクより古いと思われるヤンキー文化について再考するといった印象です。

自分自身は団塊世代のシッポの方ですが、そのころからヤンキーは存在していました。
東京とは名ばかりの国道16号線と青梅街道が交差する当たりの田舎(地方)の話しです。
16号をチョット行くだけで本場のヤンキーがいる横田基地があり、ゲートの外にはパンパンと当時呼ばれた日本人娼婦と一緒に日本の都営住宅に住んでいる黒人(当時はクロンボと言ってましたが、今では逮捕?)たちの夜の公園で裸になるどころの騒ぎではない大騒ぎが毎晩のようにありました。

当時は立川が地方中核都市(栃木で言えば宇都宮)で立川より都心に向かう時は「東京に行く。」と近所にコトワリをいれる程でした。
米軍基地は立川にもあり、戦争に負けたくやしさなどみじんもなく復員した父はそこの進駐軍(!)に雇われていました。(もちろん正社員ではない)
三軍統合記念日というのがあり、立川も横田も完全解放され、圧倒的なアメリカ文化(ヤンキー文化)に度肝を抜かれたことが思い出されます。

ヤンキー文化に浸りきって家に帰れば、村落共同体の雰囲気がプンプンする田舎があり、一足飛びにアメリカには行けないが、とりあえず「故郷は捨てるべきもの」で、そのためにも「東京に行く」ことは絶対条件だったのです。
まさに明治以降の日本の田舎の青年です。
こうした焦慮を全ての青年が持ったわけではなく、この田舎にアンカーを下ろすことを当然とする仲間が多数いました。高校までは、大学までは、OL(当時はBGと言った!)までは立川や東京に出て行くが、少し遊んだら田舎に帰ることが当然と考える(考えて決めているわけではない。体が自然にそう動く)仲間達です。

かれらこそが元祖ヤンキーです。

ヤンキー文化論序説ヤンキー文化論序説
(2009/03/03)
五十嵐 太郎

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