センチメンタルジャーニー

4日は父親の「たちび」(年月は関係なく亡くなった日付をいう。ウチの近辺だけか?)なので墓参りにでかけた。ついでに散歩もしようととりあえず西武遊園地駅に、目の前に「おとぎ電車」(子供の頃はこう呼んだ。今はレオライナーという)があったので思わず乗ってしまった。
運転席のすぐ後ろにすわっていたら昔のことが思い出された。
たぶん、50年以上ぶりに乗ったと思う。多分初めての電車で、しかも華やかで、自分が場違いに思えて軽いパニックを起こして早く降りたいとひとりであせっていた。

それ以外何の感慨もなく西武球場前に降り立って不動様を抜けて狭山湖?に出た。
大きなえん堤を歩くと紅葉が盛り過ぎできれいだった。
このへんだと標高が低いせいか、もみじなのか枯葉なのか区別のつかない色もあるが今朝は空気がきれいで風もなくそれなりに美しかった。
遠くには完全に冠雪した富士山と奥多摩の山々が見える。
小学校の時、このえん堤を米軍が爆撃で決壊させるという噂が広がり、上空からわからないように湖面に「よしず」を敷き詰めたという先生の話があった。
そのときは「フーン、大変なんだ」と思ったが、今、見ると500キロ爆弾が直撃しても決壊には至らないだろうと考えなおした。こういったデマで人は動いてしまう。

そこから狭山丘陵を縦断して歩いた。
ガキのころの裏山、遊び場で懐かしい景色がいっぱい出てきた。
こどもの頃の道の記憶は確かで少しくらいの変化には全く迷うことはなかった。
木々が太くなったこと、松の木がほとんど消えてしまったことを除けば昔のままである。
ただ、金網と有刺鉄線で囲われてしまって、魚とり、篠竹とり(これは何つかったのかおもいだせない)に立ち入り禁止区域に入って水道局員(ここは水道局の用地)に追いかけられた場所にはいけなかった。
(皇室の鴨猟場もあったはず)

その後はもうないと思っていた神社がまだ残っていて、社殿の中に「とうろう街」のとうろうが積んであったのにはおどろいた。まだ、やっているのだろうか、とうろうまち。
この社殿の前で遊んでいて、幽霊が出て坂道を転がり落ちていったワルガキ10人くらい。
あれはほんとに幽霊だったのか、今でも不思議。

懐かしい家、新しい家、まだ変わらない表札の名前を確認しながらお墓へ。
死後の世界とか、先祖のご加護とかは全く信じていないが、ひとりの墓参りは好きだ。