ケータイ生活の発見

一昨日のアウラセミナーの雑感

ケータイを持ったことによってあなたの生活はどう変わったか。がテーマでのインタビュー。
発見1
  高校生のときからケータイを持っている、ポケベル未経験世代にとっては生活の変化はケータイ
によるものではなくライフステージの変化(成長)によるもので問題の設定の仕方自体が間違い。
  「もし、ケータイが無いとしたら」という仮説質問にも当然「考えられない!」以上の反応はない。
発見2
  移動体通信端末というが移動距離は短い。
  子供のいる主婦にとって家の中での移動に携帯できることが重要。
  小さい子供がいたずらしようとしたとき、ノートとはいえPCは移動させられない。 
発見3
  専業主婦の社会的関係の窓口になっている。
  情報や人間関係がケータイを窓口として広がっている。依存症になるのは必然。
発見4
  男性はケータイの利便性とともに「わずらわしさ」を感じている。
  電話しておきながら「今、大丈夫ですか?」と聞くことの滑稽さ、過剰な気遣いの強要。
  いつでもどこでも誰かに捕捉されているという感覚。この裏返しで、GPS機能は子供の位置
確認より亭主の位置確認をしたいという主婦の潜在欲求が観察できた。
発見5
  子供とのコミュニケーションツール
  娘(中3)から恋愛相談がケータイメールできた。面と向かっては言わないだろうと思う。 

その他、時計をしなくなった、待ち合わせがアバウト、電車で雑誌を読まなくなったというようなこと
は確認できました。
ケータイが過去の人間関係をひきずる効果(弊害?)をもつことも確認できました。「夫の会社関係の人間関係がほとんどわからない。家族ぐるみの付き合いは(夫の)学生時代の友人だけ」という主婦がいました。
ケータイをドボンしても番号、メルアドを変えない限り「ゼロクリア」できない生活になっています。
菅原道真鴨長明芭蕉たちがケータイを持っていたら。