作話と解釈装置

インタビュー調査での対象者の話には多くの作話が含まれているのではないか、と考えている。そして作話は「正直なウソ」と言われるくらいだから、頭から否定せずに分析に使ってもよい、使うべきと考えている。最近、ザガニガの『人間とは何か』を読んでいて、この作話は左脳が担当しているということであった。普通、言語野は左にあるので当然といえば当然である。ザガニガによると作話は「知っていること」に基づいて行なわれるのであって、完全な創作はないとのことである。正直なウソと言われるゆえんである。そして、作話とは言わずに「解釈装置」と表現している。与えられたデータだけで、理由がわからないことの理由を作らなくてはいけない。相当なプレッシャーのはずが、いとも簡単に納得できる「解釈」をしてくれる。

この「解釈装置」がインタビュー中に発動しているかどうかは実験しないと確信を持てないが、あまりにも納得しやすい理由を物語のように話されると「?」という気持ちが強くなる。でも考えて見れば定量データを含めて分析という行為はこの「解釈装置」は発動することになるのではないだろうか。

AIもこの解釈装置を作っているのではないだろうか。