老・病・死と健康コンセプト

健康が飲・食品市場のゆるぎないコンセプトとなったのはいつからだろうか。

おいしさ、便利さ、手軽さなどのコンセプトが当たり前になりすぎて、刺激的な味にも飽きがきて、差別化できるコンセプトが無くなった。世の中も高齢化で成長よりも現状維持がなんとなく風潮になってきた。そこで、コンセプトとして健康がクローズアップされてきた、ということでいいのだろうか。

健康というコトバがいつから一般的になったのかはよくわからない。和語でうと「すこやか」とか「つつがない」とかがフィットするのだろうか。漢字で健康というと積極的・攻撃的な雰囲気が出てくる気がする。健康の反対は病気・ケガだろうし、病気・ケガはひどくなると死につながる。非常に直接的な恐怖であり、飲食品で対応するより医薬品・医者・病院の管轄となる。死の恐怖が薄い病気なら健康人と同じくらいすこやかに暮らすことはできる。(QOLの問題)病気とは関係ない健康人であっても死の恐怖・不安はある。これに対応するのも飲食品ではなく宗教であろう。(酒、麻薬は少し死の恐怖対策に効くかも)

この死をもたらすのは病気・ケガ、災害、戦争、犯罪が直接的きっかけとなるが、それ以外に老いることの先には死がある。飲食品の健康コンセプトの背景にこの老をすえると大きなコンセプトになり得る。

病に対しては先に述べたように医薬品の方がシャープである。シャープであることは使用がオケージョナルになるので常用されない欠点につながる。飲食品は常用されることで安定的な売り上げが確保できるのであって、ある病気の流行を待っているわけにはいかない。

人々の健康志向は老に対する恐怖と忌避に基づいていると考える。老とは成長を止め、現状維持も難しくなる状況のことである。だから、普通の人は10代後半から意識的・無意識的に老を自覚し始める。10代後半から老人までということは市場の大部分である。ここを取るには「アンチ老」という健康コンセプトが重要になる。アンチ老は美容・化粧品のコンセプトになっているが、実は飲食品にこそふさわしい。