かわいいは情動的防御反応?

凡人の身としては、現在をはさんで過去10年、未来3年の前後15年未満の時間間隔の中で思考している気がする。
図のような600年ものトレンドは知識としては受け付けても実践的思考にはなじまない。
家康が江戸に幕府を開いたころは1千万強だった人口が2004年には1億2779万人のピークを迎え、その後は急激に減少していき、2040年ころには1億を割り込む、というデータである。
現在、2011年の現在から2004年をみるとちょうど我々は日本の人口のピークを体験したばかりということになる。4年先の2015年をみれば、ピークを過ぎた急激な下り坂が実感できるようになるかもしれない。
このデータを見てから考えると
・地方都市の寂れ方(昨年、地方で2か3位の都市に出張して実感した)
・小学校・中学校の廃校
・朝のラッシュの緩和(JRが対策として導入した6ドア車両は廃車されつつある)
などの生活実感と合ってくる。

マクロ的に見て経済成長と人口増加(労働力人口)には相関関係があるという見解が正しいとすると敗戦のショック以外では史上初の経済衰退を体験しつつあることになる。
グローバル化によって国内市場だけではないとはいえ、人口衰退の速度は2004年を中心に左右(過去・現在)が対称形になっている。
どうあがいても再び右肩上がりが出現することはない。と覚悟すべきなのであろう。

ここで強引に、「かわいい」という評価表現が若い女性だけではなく年配女性や男性にまで広がってきたのは日本の経済が今後は成長しない、生活はこれ以上よくならない、という暗黙の認識があるからではないかとの仮説を考えた。(かわいいのインサイト?)
成長、拡大、複雑化はかわいくはない。
いつまでも子供で、小さな世界に満足し、シンプルな関係で充足する。肉にがぶりつくより、草をはむ。
これが無意識が編み出した「衰退する世界(日本)への対策」なのかもしれない。
Webとか経済のグローバル化はこうした心情を打破する力があるのだろうか。

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