安心を得るために不安をかきたてる

不安を取り除けば安心が得られる。
ところが、ある不安が解消されて安心していると、その安心が「不安」になるらしい。
いまの世の中、そんなに安心できる訳がないということだ。
するとどうするか、新たな不安材料を探し歩き始めるのだ。

二酸化炭素の排出を続けると地球が温暖化し、ある閾値を超えると破滅的な気温上昇が起こる。
これは大きな不安である。
二酸化炭素の排出を抑えるためにエネルギー源を原子力発電に求めてある程度の安心を得た。
ところが今回のフクシマ問題で原子力発電そのもののが不安のタネになってしまった。
「見えない」「影響が出るのに時間がかかる」「放射性廃棄物の最終処理の方法が確立していない」というようなことで不安としては極めて根源的である。
もう、地球温暖化どころではない。
この不安を安心に変えるには「即・全面的な脱原発」しかないと不安にかられたヒステリーが続く。

これを安心させるためにはエネルギー問題を冷静に分析する必要がある。
ということで深井有『気候変動とエネルギー問題』という本に出会った。
安心は得られないがヒステリー、パニックからは抜け出せる効用がある本である。(あろう)

・地球の温暖化と二酸化炭素の排出量には相関はない。(地球の気候は他の要因で変動する)
IPCC報告書はデータをねつ造していた。
原子力発電は確かに未完の技術である。
・太陽光エネルギーや風力も変動が大きく使いずらい。

理想としては、
・水素エネルギーシステムの完成
バイオマスエネルギーとしての藻類
に期待がかけられる。
核融合はたぶん不可能だろう。
ということである。

これでけ発展してしまった文明の中で安心を得るには相当な知的努力が必要であろう。
そして、知的努力は新しい不安を生み出しがちではある。
ただ、知的努力は、とりあえず、安心を声高に求めるだけの愚行からは離れられる。