必要以上、過剰、やりすぎ、贅沢

311とフクシマ以来「必要十分」「身の丈に合った」「(自然との)調和」といった意識で生活している、して行こうという人が増えているのだろうか?
経済でいえば、成長よりも成熟、競争よりも協調ということでやみくもに豊かさ(拡大)を求めても全体の幸福には結び付かない、というところであろうか。

「電気予報」を公共放送が毎朝流しているし、電車の中では昼間は本が読めないほど照明が落とされている。体験はないが、灯火管制の戦中もかくあらんといった感じさえする。
都心のビルでは夜中まで煌々と蛍光灯をつけて残業していた会社が「世間体」を理由に残業禁止令を出しているらしい。

自分はどちらかといえば、活性が弱いので肌感覚として現状のこのどんよりした空気が似合うし、年齢的にも黄昏始めているからよいはずなのだが、しっくりこない。
というより軽い「怒り」を感じる。

やっぱり、必要以上の明るさ、利便性、過剰な品質、やりすぎの笑い、身の丈を無視した背伸びの贅沢を目指すべきなのではないだろうか?日本は。
影という影を消してしまう薄っぺらだがあまねく照らす蛍光灯の光のないコンビニはコンビニではない気がする。ほとんどが無駄かもしれない深夜残業の徒労感が好きという人がいてもいいのでは。
無理やり背伸びしてトナリより高級(高い)車を買う、子供を塾に通わせる、おいしいレストラン通いをブログで自慢する。
こういった俗物魂を失った日本は、「清貧」にも「品格ある国」にもならず極貧に落ち込んでしまいそう。

戦中にあったらしい標語「贅沢は敵だ!」の敵の前に「素」の文字を落書きするセンスを失うことはコワイ。
死ぬまで成長をめざし、そのために競争を下りない。