扇のカナメ

あれは何歳くらいの時だったか、ふと気づくと扇の要がひっくりかえっていた。
これでも人並みに将来の可能性は信じていた。
今はこんなことしてるが、「やがては」と思っていないと「やってられなかった」のである。
周囲も会社を辞めて学校に入り直したり、医者になろうとしたり、芸術1本で身を立てようとしたりする人間がいて活気と狂気が入り混じっていた。
まさにみんな自分の扇の要にいて、その前には180度の可能性が広がっていた。

ただ、生きていくことは一瞬、一瞬、何かを選び取ることだし、選ぶということは選ばなかった全てを捨てることである。
捨ててしまったことを拾い直すこともあったが、「選び取れ!」の脅迫に負けていった。
そんなある日、フト気づくと扇の縁に立って遠くに霞む扇の要を眺めている姿に気づいた。
扇がパタンと倒れてカナメが向こう側に行ってしまった。
自分の前にあった扇の広がりはカナメに向かって収束していっている。
そのカナメの姿形も煙に霞んでいるが最近はカナメの上に立つ死神も見えてきた。

こうなれば、扇のカナメに立つ死神に向かって全力疾走も悪くない。
誰にも「残された時間」なんてない。