正月より年末の方が楽しかった

昨日は年末恒例の餅つきで、クルマで一時間くらいの実家に行ってきた。
杵と臼ではなく、家電製品の餅つき機でつくのだが20キロもつくので半日仕事になる。
5家族だけの一族だが全戸の正月の「おそなえ」までつくる。

子供の頃も5家族程度の親戚だったと記憶している。
ただ、もちの量は今の10倍と言った印象で昔は朝から夜おそくまでの一日仕事だった。
そのころからすでに近所でも杵と臼の家は数軒だけで、自分の家の餅つきより迫力があっておもしろかったのでよく見物に行った。
杵と水うちのタイミングと掛け声が独特のリズムをもってスピーディーに展開されるスリルは、モーターのうなり音と父親のどなり声だけの我が家の餅つきの殺伐感と比べて数倍楽しかった。

年末の餅つきが終るとしめ飾りと家の周りの掃除(大掃除といわなかった気がする)で、最後に庭を掃いてオトコの仕事は終る。
その頃、母親は煮炊きで忙しく、それを見物するのも邪魔にされながら楽しかった。

大晦日があけると間違いなく正月。
あれほど忙しそうだった大人が朝から酒飲んで楽しそうにしている。
初詣も終ってしまうとやることがない。見物する大人の仕事が全部止まっている。
この時、不思議なことに子供の自分は、世界が停滞している、澱んでいる、という錯覚におちいってお正月のウキウキ感よりも強い不安を感じた。
正直、正月は嫌いだった。

今でも、年末のあわただしさの方が、正月の空白よりよっぽど好きだ。