生きた発言録

藤井直敬さんの新書「ソーシャルブレインズ入門」から。p104あたり。
赤ちゃんと母親をビデオでつなぎ、音声を画像と時差なしで送った場合と数百ミリ秒遅らせた場合で赤ちゃんの反応が変わるそうです。(開一夫さんたちの実験)
時差があると赤ちゃんがモニター画面のおかあさんの顔を注視する時間が短くなり、これは双方向コミュニケーションの成立が少し阻害されたと考えていいようです。
ここから、コミュニケーションには双方の時間の流れが同期していることが必要だという結論になるそうです。
時差のある会話への対応力は生後、獲得されるもので生来のものではないので赤ちゃんにはまだその力がないということです。

この時差のある会話は「会話の記録を読む」場合にも当てはまります。
自分と対象者の対話(1on1インタビュー)のテープ起こしを読むと、そのままではしゃべった本人もしゃべった内容がよく理解できないものになることがあります。しゃべっていた時、対象者の間に共通の理解や共感があったと感じられた場合でも同じように違和感が大きくなります。
今までは、話しコトバと書きコトバの違いによるものと考えていましたが、それだけではなくリアルな会話に流れていた時差のない時間が記録では再現できないことも原因のひとつであるということになります。(新しい発見)

場を共有する、同じ空気の中で過ごす、同じ体験をするというのがエスノグラフィーの方法論のキーだと思いますが、会話の中の時差の問題もエスノグラフィーに大きく影響していることになります。
リサーチでいえば、通訳が間に入ったインタビュー、発言録だけで書く報告書というのは根本的に情報が遺漏しているということになりそうです。
発言録で、一字一句漏らさずに記録してくれ、という要求をするクライアントさんが、いまでも時々いますが無駄な努力を強いていることになります。
「生きた発言録」というのは、あり得ないものを要求しているという結論になりました。
ただ、「発言録はいらない」という結論にはなっていません。
無理を承知で記録者に要求すれば、「同期した時間の流れを意識して記録してくれ」ということになります。