こぞことしつらぬく棒のごときもの

高浜虚子の句だったと思うが、始めて聞いたときから不思議な感じがしている。
今年も「そういうことか!」と納得できなかった。
正月といってもゼロクリアになるわけではないと皮肉な視点なのか、世間とは違って自分には歳と歳を貫いて流れる強い意志があるという決意なのか、わからない。
「冥土の旅の一里塚」のようなわかりやすいユーモアがないのだ。

1年間の間に汚れてしまった自分や世間をきれいに掃除し直して改めて新鮮な新年を迎えるという心持ちはウソとわかっていても文字通り心あらたまるものである。
去年のことは去年に置いておいて、正月には新たな目標やテーマを考える。
これは精神衛生上、極めてよいことである。
そこを棒で貫かれてはかなわん気がする。

年齢を重ねるとこの「歳が改まる」感覚はどんどん鈍くなる。
紅白も見ず、酔いの中で蕎麦を食らい、除夜の鐘の10音目くらいで眠り込んでしまうという年越しをするようになって何年くらいか。
貫くものはないし、あってもそれは棒ではなくヒモみたいにうねうねとこんがらがっていて、一里塚にもならない。