「46年目の光」

「視力を取り戻した男の奇跡の人生」とサブタイトルにあるように実話の感動物語ですが視覚(見ること)の意味とシステムについてのおもしろい科学記事として読めます。
主人公は3歳までは健常で、化学薬品の事故で失明します。そして、46歳の時角膜移植によって「光」を取り戻すのです。文字通り光は取り戻せても「視覚」は不完全なままなのです。色と動いてものは簡単に識別できるのに人の顔(妻、家族を含めて)が認識出来ず、奥行き(立体)も認識できないのです。幼い頃、視覚野が学習することを止めさせられてしまったため、顔や段差など立体的な認識は自動的ではなく、いちいち手続きを踏まないとわからなくなってしまったということらしいです。健常な視覚がもつ「錯視」も起こらないということで、現在も「見る」ことの訓練を続けているそうです。

最近、アイトラッキングの調査を経験したのですが、機械的なアイトラッキングはこの主人公のように「光」(の焦点)を追いかけているだけで視覚(認知)は追いかけられないのではないでしょうか。
さらにパッケージやWeb画面のアイトラッキングには訓練、学習が必要だとするなら新製品のパッケージテストにはアイトラは使いづらいのでないでしょうか。

中国残留孤児が来日し、始めてスーパーマーケットの棚のまえに立ったとき、製品の識別ができず、何を買って良いのかわからなくなって途方に暮れたというニュースがありました。
大量のパッケージグッズの中から自分が欲しいものを選ぶという作業には長い視覚野の学習、訓練が必要なのでしょう。
リサーチで相手にする対象者の中にもこういった困難を抱えた人が多くいるのではと疑う必要があるでしょう。

もうひとつ、この主人公は対象が動けば即座に三次元認識ができたということです。
サッカード現象とは関係なく、網膜の中で動くものに視覚は多くの情報を与えるということです。
対象が動けばもちろん、棚の商品を手に取る(動かす)ことで、それに対する認識は棚に置かれたままの他の商品より視覚野できちんと記憶されるということになります。

パッケージテストもここまで考えながらやる必要がありそうです。