先住民(未開人)が人類学者になる

パロール・ドネ」レヴィ・ストロースp199

これらバロック的著作と、古典主義的著作の根本的な差違は、書物の中で先住民の演じる役割にあり、それ以上のものでも以下のものでもない。じっさい、ボアズの記念碑的な著作「ツィムシアン神話学」もバルボーによる同種の大作「ツィムシアン神話集」も、神話を採録・精査いたいきさつでいえば、それぞれ共に読み書き能力のあるツィムシアン・インディアンであるヘンリー・テートとウイリアム・ペンヨンの著作でもあるといえる。このような場合、協力者のほうが人類学者を指導するのである。可能な限り完全な神話集を構成しようと試み、また自分の属する家族・社会集団の伝承と、他の氏族に属するインフォーマントから得られた伝承を同じ水準で扱おうとするとき、先住民はみずから人類学者となる。

エスノグラフィーのインフォーマントがリサーチャーになる瞬間はおとずれるか。普段から対象を観察・分析することに慣れきったリサーチャーがエスノグラフィーの現場にでても「質問」に回答するだけでなく生活を観察させてくれるインフォーマント(対象者)が自らリサーチャー的発言をしたとたん、「バイアス」と叫び出すのではないだろうか。
マーケットやブランド、消費行動への認知や理解は相互主観的であることを忘れた科学的リサーチャーがフィールドに出ても「質問」(刺激)と「回答」(反応)の古典的心理学手法から抜け出せないだろう。調査対象者がリサーチャーになるようなインタビューをしてみたい。