ピナ・バウシュ

ピナ・バウシュが68歳で亡くなったそうだ。
1982年、国立劇場カーネーションを観たのが初めてで、数年間は来日公演のたびに見に行っていた。それが「彩の国芸術劇場」という埼京線の駅から歩けないほど遠い劇場で公演するようになってみに行かなくなった。ピナ・バウシュだけでなく、ウイリアムフォーサイスも盛んに日本公演をやっていたバブル期だった。ピナ・バウシュを教えてくれた会社の後輩が「舞台を観てハッピーな気分になれるのはピナ・バウシュだけ」と勧めてくれたが正にその通りであった。フォーサイスの方はもっと尖っていて、それはそれで楽しかった。

ロダンサーの関節が外れたようで、妙につながっている、外から見えないロープで激しく引っ張られているようで優しくコントロールされたダンス。群舞ではシンプルな動きの繰り返しが笑いを誘い幸せな気分にさせてくれた。(カーネーションの春夏秋冬の動きは今でもできそうである)
舞台も奇抜でカーネーションの時は黄色の本物のカーネーションが何百(千)本も舞台にセットされその上でダンサーが踊っていた。
フォーサイスの舞台では初めて生バンドでのダンスが見られたし、衣裳を三宅一生が担当し、本人が衣裳チェックしているところも見た。

劇場は新宿文化センターが一番見やすく、オーチャードホールのS席は舞台の後ろ半分が見えないくらい沈んでいて最低だった。彩の国芸術劇場も一度だけ行ったが、ここはピナ・バウシュの舞台として最もフィットしている印象だった。