石合戦

小学校に入る前のうすい記憶だが「石合戦」をやったことを網野善彦の「中世における聖と賤の関係について」を読んでいて思い出した。

里山の谷に数少ない田圃(基本的に畑作地域)が細長く伸びていて、その両側に山裾にそって砂利道ができていた。田圃をはさんで両側から道に落ちている石を拾って反対側の敵めがけて本気で投げた遊びのようなケンカのような石合戦。石が当たってパッカリ頭が割れて血を吹いていたヤツもいたはず。
網野さんによるとこの風習(遊び)は朝鮮由来のものらしいが、近所には高麗(コマ)など朝鮮由来の地名があるし、波多野クンは社会科の先生に「君の名は帰化人のもの」と言われて本気で怒っていたことも思い出されて納得。さらに、戦が始まる前に相手を悪口でののしりあうということも書いてあり、確かに自分の記憶でも「おまえのカアさんデベソ!」と双方同じ悪口?を言い合ってから、石投げが始まった。自分は小さかったのでミソッカスで山の木の陰で見物していたが、頭を割られた人を見たときはガクガクと震えた。何がきっかけで始まって、どう終わったのか、敵味方を分ける基準も忘れたが、確かにやった石合戦。

さらに、小学校の時に読んだ徳川家康の伝記で、家康幼少のころ婆やか爺やに背負われてこの石合戦を見物したとき、じいやが手で家康(幼名、竹千代?)のふぐりをさわったら、だらんとしていて「縮み上がって」いないのを確かめて「こいつは天下を取る度胸がある」とつぶやいたというシーンで不思議な感情がわいたことも思い出した。

遠い記憶の先にある石合戦。
もう、日本からは完全に消えた?