風聞

網野善彦「中世の音の世界」より、

人の意志を超えて口から口へ勝手に広がっていくうわさ。これを当時は「風聞」と言い、あるいは「口遊(くちずさみ)」と言っております。これは、それ自身が生きた物のような魂のあるものであり、そこには、人にわからない隠された神の意志が、人の口を借りて示されていると、当時は考えられていたのです。

鎌倉幕府の裁判ではこの風聞だけで起訴され有罪判決が出たこともあったようです。風のようにコソコソと小声で広がっていくウワサは神の意志を伝えるものとされていたとのこと。(神社・仏閣など神の庭では大声が禁止されていた。)(当時「天に口なし、人をもって言わせよ」などの諺がはやっていた。瀬田勝哉)
神なき現在の風聞は、証券取引委員会でもネットでも否定的に扱われています。バズだの何だのとネット上でよいウワサの連鎖をねらったマーケティング手法も話題です。現代の神=消費者の意志もコソコソと小声で広がっていく自律的なものでマーケターのコントロールを超えているようです。それだけでなく、このウワサでマーケターは生殺与奪されてしまうのです。