本屋の楽しみ

なんとなく元気がない、なにをやってもしょうがないと軽いウツを感じたとき、本屋に行って元気になって帰ってくることがあります。
そういうときは、普段行かないコーナーに行きます。
怪しいと思われてもいいので女性雑誌コーナー、フーゾク関係、英語学習、美術・芸術・写真、ハウツー、などです。
そして昨日、文庫本コーナーをはじからはじまで丹念にながめてみて、そういえば不景気だしと思って文庫を数冊買い込みました。そのときGoogleの図書館プロジェクトは文庫本に似ているのかなと思いました。書棚にハードカバーを並べるミエもあるのですが、もう一生この本を開くことはないだろうと思われる背表紙をみると何のために?と思うこともあります。
数回の引越しのたびに捨てた本もありますが、本というのは捨てがたいものです。
自分の蔵書が全て文庫本サイズになればスペースは25%くらいですむはずですが、全部Web上に置いてくれればPCサイズ、携帯サイズですむわけです。

Googleのプロジェクトも蔵書スキャンサービスとドッキングして進めれば抵抗は少ないかもしれません。でも自分はやらないだろう。
というのは「思い込み」がなくなることが寂しいからです。ブログなど雑文は、学術論文ではないので誤引用があったほうが楽しいと思う場面があります。
忌野清志郎が歌っていた思っていた曲が違う人のものだったりすることが検索で簡単にわかってしまうと自分のイメージが崩れてしまう(軽くですが)違和感を感じます。
自分の読んできた本が全て正確に記録されていて、いつでも引き出せたらイヤですね。
脳とコンピューターはやはり違う。