若気のいたりvsトシガイもなく

自分の能力、状況を無視して無理なことに手を出してしまい、失敗した様子。
「若気」にはユーモア、ほろ苦さ、世間の許容、などが感じられますが、後者には、滑稽、惨め、冷たい批判、があります。

やることなすこと「トシガイもない」年齢になったと自覚するのは何歳くらいでしょうか。「60の手習い」は、それがうまくいっても、明らかにトシガイもない要素が20%くらいは入っています。
そうなると50歳くらいでしょうか。いや、45歳くらいかもしれません。独立するにも転職するにも50歳までには跳ぶことが必要かもしれません。なんとかやり直し、リターンマッチが組める年齢とも。

一方、若気の至りは30歳くらいまでですか。
SMAPの草薙クンも30過ぎ、警察に通報されなくても、有名人でなくても「若気」ではすまされないということになりそうです。

昔、「年取ってからの事業の失敗、貧乏は惨め。」といわれたことがありますが、この不況で「それもまたよし」と開き直らないといけないと思うようにしています。
不況のよいところは、こういった世間常識を崩してくれることでしょう。
今なら、何をやっても許される、 なことないか。

ここで気づいたのは、二つの表現とも女性に使うことはほとんどないということ。
女性がやることは何でも何歳でも正しい、あるいは年齢に外れたことはしない、ということでしょうか。
(ファッション、化粧、恋愛ではトシガイもなくが使われますか?)