臼杵の石仏

36年ぶりに臼杵の石仏に会ってきました。
阿蘇山の火口は3度目の正直で初めて見ることができました。

原始の地球を思わせる阿蘇の火口から下って(実際は大分から下ったが)、人間の歴史時代の古代思わせる臼杵への旅は、数億年の時間を実感できるのではと期待しましたが、自分の感覚はそれほど鋭くはありませんでした。

そんな長い時間感覚は別として、自分の記憶にある臼杵の石仏のたたずまいと再会した現実の石仏とは大きく違いました。
周辺の観光施設(レストラン、案内所、博物館、花壇など)が増えた、国宝指定によって野ざらしの石仏が屋根の下に入ったなど事実として違う部分を勘案しても記憶と現実の「臼杵の石仏」は違いすぎたのです。(記憶やイメージが定着し再生されるシステムが脳科学的に解明されても個人における記憶・イメージの再生時のギャップ・違和感は納得できないと思います)

下車してしまえば1時間以上待つことになる、1日に数本しかないバスに乗って峠に向かう途中に臼杵の石仏はひっそりとたたずんでいました。
石仏の周囲の山は照葉樹と孟宗竹でおおわれ、樹木の名前は知りませんが常緑の葉裏の淡い緑が風に揺れて波のように動いていました。
小林秀雄に伊豆の別荘でモーツアルト弦楽五重奏が突然鳴り響いたのも風に波打つ照葉樹の葉裏を見ていた時だったはずですが、その時の自分には風の音しか聞こえませんでした。
(このあたりから、臼杵の景色とその前後に訪れたはずの国東半島がこんがらがっているようです)

あのときの臼杵の石仏は静かでひとけもありませんでした。
一緒にいたはずの友人の気配も思い出せません。
今回、同行したオジサン達は「やれ、心霊スポットだ。霊気を感じる。」とふさわしくない大声を出していましたが、自分も含めこの人達も長い時間の中に埋もれて行くのです。
(ウスキのセキブツは、お経のように語呂もいい感じです)
2009041411270000.jpg