あるとき、こんな桜の季節に大岡昇平の「花影」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」を続けて読んだ。
花影は何回か読んだが、桜の森の満開の下ははじめて読んだと思う。
吉野の千本桜は観たことないが、その満開の下を別れる2人が見上げる桜の描写は、詳しい内容は忘れたが大岡の名文であった。
一方、これも行ったことがない鈴鹿の山を京都でさらった白拍子(だったと思う)をかついで満開の桜の下を走っているうちに背中の女が妖怪(骸骨だったか)に変わっていく感触が感じられる坂口も名文だった。

その時、どういうわけか2つの名文が梶井基次郎の「檸檬」の肌触りと同じに感じられた。
桜と春の温度は人を狂わせる、というのはホントらしい。
ワシントンの桜の下には魔物は埋まっていないのか。