「定性調査はマーケティングのAIになる」少数の法則をみがけ

少数の法則については、過去こんなことを書いている。

http://blog.hatena.ne.jp/auraebisu/auraebisu.hatenablog.com/edit?entry=8599973812277794522

我々はカーネマン・トベルスキーが言う通りシステム1で判断し、意思決定している。さらに物事に因果関係・相関関係をみたがるし、ひいては物語を語りたくなる傾向が強い。このシステム1思考と物語性の2つが少数の法則の原因である。我々の仕事である定性調査はこの少数の法則に従った方法論である。(これと対照なのが「大数の法則」を基礎とする方法論の定量調査である)少数の法則はシステム1の思考なので通常は否定的にとらえられる。反知性的、反科学的、強い偏向性などが批判されやすい。反知性とは「少し考えればおかしい、とわかるだろう」とシステム2の思考で否定されることを信じてしまう愚かしさ。反科学的もシステム2の思考、統計的代表性、再現性を考えれば「そんなことは言えない。単に偶然発生した」ことを信じてしまう宗教性。強い偏向は「それとこれを結びつけて考える」には背後になにか強い信念(イデオロギー性)があるとしか言えないとの批判である。

マーケティングリサーチ(MR)のバックボーンは統計学であり、観測された事象はある確率分布に従う前提でデザインされている。定性調査のデザイン思想は大きく違うのだが、MRのくくりでこの定量調査の考えをそのまま定性調査に持ち込み「少数の法則」批判をされることが多い。デブリーフィングで「こういう(考えの)人が多いんですか?何割くらいいるんですかね?」「今回の結果はたまたまですか?」などの質問がクライアントから出ることが多い。気持ちはわかるが、それを言われても(聞かれても)困るのである。「今回の結果は全体市場の傾向と言えます」と確信をもって断言するが、もちろん証明(検証)はその場でできるわけがない。(検証したければ定量調査をやればよい。と開き直る)このままでは定性調査が日陰の身から出てこれない。

サンプルの少ない定性調査の宿命でる「少数の法則」を徹底することで、その裏側の一般性を獲得できるのではないかと以前から考えている。科学性はどこまで行ってもムリだが一定程度の一般性は獲得できるのではないか。そして、マーケティングは科学である必要はなく、分析結果に限定的な一般性があれば「使える」のである。

では、少数の法則を徹底化方法を考えよう。簡単に言うと、システム1の思考とストーリーテリング能力を磨くことになる。システム1思考の特性は「省エネとスピード」である。仮説構築・データ取得・精細分析のシステム2は、費用と時間がかかる。結論が出たときは状況が変わってしまうことさえある。(ネットリサーチの浸透で省エネ・スピードは相当改善されたが、科学性・再現性と情報の豊かさが毀損されているのでは?)このシステム1の思考を磨くには、マーケティング知識・思考法を常にアップデートすることと、消費者心理の読み込みの訓練の2つが重要である。本を読むことも大切だが、マーケ関連のニュースを自分なりに解釈する(裏を読む。供給側と消費側の真意を推理する)訓練が必須である。ストーリーテリング能力は、マーケティング的に関係なさそうな事象AとBを関連付け、その間をつなぐ納得性の高い物語を考える訓練を重ねることである。さらに、その物語は常にアップデートすることを心がける。安定、安心、定説を捨てる結構ストレスフルな作業になる。(赤の女王)

これを楽しむのが定性リサーチャーである。が、このストレスフルな作業をコンピューターに代替させようとしているのがAIだと解釈している。大量のデータをブチ込んで出てきた答えを施策として実施し、結果を観察すればマーケティングプロセスの輪が閉じる。データ処理のプロセス(モデル)はブラックボックスのままでよい。