スティーブ・ジョブスの一人称ペルソナ

スティーブジョブスもそうだったと思うが「マーケティングリサーチは当てにならない。信じない」との経営者だった。前のマクドナルドのCEO、原田さんもその立場でユニクロの柳井さんもそうなのではないか。その他経営トップにマーケティングリサーチは役に立たないという主張が目立つ。リサーチ側からは、リサーチデザインが間違っている、ロクなリサーチをやっていない、トップに行くまでにリサーチ結果が歪められる、などなどの反論があろうが大企業のトップには当然、届かない、犬の遠吠えである。

前々からジョブスの一人称ペルソナというテーマを考えている。今はいないらしいが、山中俊治さんの研究室に分解マニアがいて、特にアイホンの新型が出るたびにとことん分解して細部に宿るアイホン=ジョブスの思想を読み解くという作業を行っていたらしい(もう、卒業されたみたい)その中のエピソードに、アイホンは中の配線を意識的に美しく整えていた(デザインしている)のに驚かされたというのがある。ここから先は都市伝説だと思うが、アップルのエンジニアが「こんなとこ、誰も見ませんよ」と言ったら、ジョブスが「オレが見る」と即答したそうだ。

どの番組か忘れたが、ジョブスがインタビュー中、アイホンをずっと手に持って画面を操作しないが、しょっちゅういじりまわしているシーンがあった。もうひとつ、プロ野球のピッチャーがベンチにいる間もボールを手に持って遊んでいた。(たしか、江夏)この2つが自分の中で結びついてしまう。ここから飛躍するが、ジョブスはアイホンというデバイスに江夏はピッチングという行為に「憑依」していたのではないか。デバイスや行為に自分の意識を完全に入り込ませてしまう(決して入れ込むではない)法悦をともなう一体感があったのではないか。

憑依は科学的でもないし、合理性もないのでマーケティングなど実践の世界では忌避される。自分の意識は外界から分離させて客観的に分析し、論理的に記述するのがマーケティングリサーチである。自意識は殆どの場合、バイアスとなって結果を歪める。ペルソナを作るときも客観的に作ろうとし、使うときも客観的になる。だから、あたかもペルソナが「判断、指示」してくれるのではないかと期待し、当然、裏切られて「ペルソナは使えない」となる。特にペルソナを使うときはこの点に注意が必要である。一度は憑依してみないとペルソナは生きてこないし、使えない。ジョブスはペルソナを外に作らず、自分自身をペルソナにしていた。そこは「オレが使いたくなるものを作る」「オレはこう使いたいのだから、こうなるように開発するのが技術やさんでしょ」という態度である。決して、自分で技術開発しようなどとは思わない。まさにペルソナの役割を自分で(一人称)担っている。

商品開発する人はユーザーニーズを客観的に探り、分析し、それを実現するよう研究開発やデザイン開発すれば良いと考える傾向にある。そういう時「自分のほしいものを作ればいいよ」と上から指示されるととたんに困ると思う。他人のための努力より自分のための努力の方が身が入る。この主客変換というか一体感のためにペルソナは役立つのだが、なかなか納得してもらえない。

ジョブスは一人称ペルソナでリサーチを不要としたが成功した。原田さんはついぞペルソナを作ることなく計数ばかり見ていて失敗した。柳井さんはその中間か?というのが今のところの判断である。ネスレのCEOの高岡さんはジョブスに近い、さらにリサーチを否定せず、自分の感覚との整合性をめざしている新しい経営者かもしれない。(詳しく研究したわけではない、印象と妄想であるが)