選択盲と作話

選択盲は、自分が「好き」と選んだもの(例えば異性の写真)を少しの時間をおいてすり替えられて提示されても、その間違いに気づかないだけでなく、提示された異性の良い点や好きな理由を語りだすというヒトの認識のいい加減さ、不正確さのことをいう。

少し弁護するならば、人生のどうでもよい場面での似たようなものの選択である場合は記憶違いはあるだろう、という1点と違うものを出された時、はっきり確認させられず、選んだ理由を質問されたのなら、目の前の課題に集中するために自分の過去の判断にはこだわらないという2点目があげられる。

ここで問題にすべきは自分の選択に気づかないことではなく、違うものを提示されても自分が「好きな」理由やポイントを滔々と語ってしまい、それが矛盾もせずにスジが通っていることだろう。

前方健忘症の患者の実験でつぎのようなことがあるらしい。前方健忘症とは、脳の障害で新しい記憶が保持できない症状のことである。遠い過去の記憶はあるが、ある障害がきっかけで、それより先(未来)の記憶が保持されない。患者と医師ならば、毎日、初診の患者として医師にあいさつすることになる。ここで、実験的に、医師が挨拶の握手の時に軽い電気ショックを与える、患者は当然怒る。

翌日、患者は医師と会った記憶が保持できないので、電気ショックのこと、怒ったことも忘れて医師と握手しようとするが、ここで握手を拒否する。医師が握手しない理由を聞くと「さっき、トイレに行ったが、手を洗わなかったから」という理由を即座に述べたそうである。

このようにヒトは、瞬時にもっともらしい理由、ストーリーを作話する能力を持っているらしい。(もちろん、虚言癖とは違う)この能力が選択盲でも発揮され、過去の選択の正確さよりも提示された写真でストーリーを作る方が得意なのが一般的な人らしい。

インタビュー調査での対象者は、あらゆる場面で理由を聞かれる状況に置かれている。自分のホントの気持ちを自省的に語るより、もっともらしい、世間通りのよい理由をでっちあげるのが得意で、その方がストレスもないと考えるべきである。

自分にも世間にも「自然なウソ」をつくのである。

インタビュー対象者が抱える3つのアポリア

①自分の行動・意識に自覚的でない。無意識に行動している。

②自覚・意識できたとしても言語表現能力がない。

③言語表現できたとしても正直に語るインセンティブがない。

と考えてきたが、今後は、①はそのままで良いとして、

②過剰な言語表現能力=作話力がある。

③その作話は、状況・文脈にフィットしているが、自分の本心とは限らない。

と変更しようと考えている。

いずれにしろ、調査対象者は「平気でウソをつく人々」なのである。