エビングハウスの錯視とアイトラッキング

『記憶のしくみ』ネタ。下巻p143から

エビングハウスの錯視は、大きい丸に囲まれた中心の丸と同じ大きさの丸が、前者よ比較的小さい丸に囲まれた場合では、大きさが違って見える。(小さい〇で囲まれた方が大きく見える)ことをいうらしい。
ここで、さらに実験ををすすめて、大きさが小さい丸を小さい丸で囲んで大きく見せ(錯視)、大きさが大きい丸を大きな丸で囲んで実際より小さく見せ(錯視)た。
ところが、この2つの丸に手を伸ばす(取りに行く)時は、手のを広げる範囲は錯視の影響を受けなかった。
(実際の大きさに合わせたサイズで手を広げた)

以上から、認知や識別と関係する視覚知覚は、腹側皮質視覚路で処理されていて意識的であるのに対して、認知や識別とは関係のない視覚知覚は脳の別の経路、つまり無意識で処理されている。
だから、視覚知覚を自覚することができない。(見ていたという自覚がない)

ここに、アイトラッキングデータデータの解釈の問題がありそうである。
視覚知覚の脳内処理の経路が2つあり、片方は無意識であるとすると「見ていた」という認知は成立しない。
でも瞳の運動をとらえるアイトラッキングデータは2つを区別なく捉えていると思われる。
視線データ(ヒートマップ)で「あなたはこの部分に注目していた」と言われても「そうかしら?」ということがあり得るのだろう。

このあたりをアイトラッキングデータは解決できるのだろうか