たまごとにわとり

ここ何回か「定性調査(FGI)の質が落ちた」「少なくとも質は向上していない」という耳の痛い話を聞いた。
言わんとすることは、モデレーションに工夫がなく分析に切れがない、ということである。
まあ、昔からあるマーケティングリサーチへの批判(リサーチは使えない)とも取れるが、ここでマジメに考えてみた。
モデレーションに工夫がないということは、
・フロー通りにひとりずつ聞いているだけで、グループでやっている意味がない。
・質問と回答が機械的で、「話」の発展がない。
ということであろう。
テーマへのモデレーターの理解度、関与度が不足でFGIの表面的な設計に従うだけ、という状況である。
いわば、仕様が一定した「量産型FGI」に対応したモデレーターが多くなったということだろう。
この責任はモデレター側にあることは間違いないが、「フローのこの部分を聞いてない。全員にしゃべらせてくれ。」というクライアント側からのプレッシャーにも責任の一端はありそうである。

分析の切れ味については、分析者=モデレーターの能力が大きいが、ここでもクライアント側からの「仮説検証型」分析のプレッシャーが分析の切れ味を鈍らせている傾向を感じる。
「このグループでの結論は何?仮説は検証された、棄却された?」ということで始まるデブリーフィングが多くなったのではないだろうか。
テーマや仮説と離れて、今回のライブ(FGI)で感じたことは何か?発見・気づきは何か?から始めるデブリーフィングは、その後の分析・結論に切れ味をもたらすことが多い。
自らそのチャンスを放棄している状況が多いのではないか。

卵が先か、にわとりが先か、はさておいて、アクティブインタビューはこの状況に風穴を開けることができる。