アクティブなシニアって

シニア市場はある意味偏見が満ちている。
そのひとつが「アクティブシニア」というとらえ方である。
まず、この概念はシニアはアクティブではないという偏見から始まる。
加齢はアクティブさを失う方向への圧力と考え、その圧力に長年さらされてきたシニアは当然アクティブさを失う。
自分の周りの年寄を見ても歩く、食べるなどの基本行動のスピードは落ちるし、動作もぎこちない、1日家の中にいてもそれほど退屈そうではないということで「不活発」がシニアの特性と考える。

この偏見を確認しようとシニアマーケットを研究するとバラつきはあるものの若者顔負けの活動量と意欲を示す年寄がたくさんいた。
すでに負債は返却して資産はある、カネ食い虫の子供たちは曲がりなりにも独立・自立しているのでお金持ちである。
そのうえ、年金は結構な金額をもらっている。
検診体制がしっかりしている日本では病気も早いうちに治療して健康にも問題がない。
さらに時間とカネをかけて自分の健康管理をするので元気である。

ということで出てきた新たな偏見が「アクティブシニア」である。
ところが、アクティブシニアを前提に市場を見ると将来に「病気と死」しかないシニアの元気さは見せかけであるとがっかりする。
基本はケチであり、新しいことには手を出さないし、いつまで続くか予測できない自分の老後を考えれば保守的になる。
アクティブなはずの人たちが現状維持しか考えていない。
これではシニア市場はおいしくない。

この2つの偏見の間を行ったり来たりしているのがシニア市場の研究である。
そう、シニア市場は研究ばかりしていて、いっこうに立ち上がらない。
シニア市場の立ち上げは、シニアに自分の将来像を描くことを手助けすることではないか。
子どもや若者が描く自分の将来像とはもちろん違うものであるが、共感できる像を描く手助けである。
現状を維持するためだけに必死に走り続ける人たちに「行ける場所」を提示することだろう。

ま、難しいことだな。