消費の自由・満足・幸福

ブランド選択の自由は消費の満足度、幸福感を向上させる。
いつでもどこでもたくさんのブランドの中から自分の制約(趣味嗜好、所持金、など)だけを考えてどのブランドでも選択できる「自由」こそが消費生活の満足、幸福感を高める重要な要素である。
この自由のためにメーカーや流通業はたくさんの種類のブランドを提示し、「(私を)選んでください」とあらゆるアプローチ手段を駆使して消費者に迫っている。
これが「消費者は王様(神様ではない)である」と言われる状況である。

インタビューをしていると「何故Aブランドを選ぶのか?新製品のEブランドに気づかなかったのか、BCDブランドもあなたの好みと合わない訳ではないのに」というインタビュアーの質問に「いつもAだからAを選ぶ、その他のブランドは目に入らない」という対象者に出会うことがある。
こういった人は定量的にはヘビーユーザー、ロイヤルユーザーと定義されるが、定性的にはヘビーでもなく意識的なロイヤリティはないとなる。
こういった人には「Aブランドだけ店頭(棚)にあればいいんですか?」といううプローブも有効ではない。
そういった場面がうまくイメージできないからである。

だいぶ古い話だが中国残留孤児が初めて日本のスーパーマーケットに買い物に行った時、並んでいる商品が多すぎて選ぶことができず途方に暮れ「どうしてこんな無駄なことをするんだ」と言ったという記事を読んだ。
歯ブラシ1本も選べなかったらしい。

今や北朝鮮などを除けば消費生活の「選択の自由」を人類の半数くらいは味わっていると考えてよいだろう。
ここで池谷裕二さんが「ヒト(脳)の自由は後付けのもので未来に向けての自由を脳(ヒト)は感じることはない」と言っていることを思い出した。
消費者は店頭やサイトでたくさんの選択肢を見たときは自由を感じてはいない。あるものを選んで時点でたくさんの選択肢を思い起こし、自由を満喫しているのだろう。
さらに認知的不協和の問題もあり、商品選択の自由はほんとに良いこと(満足・幸福)なのだろうかと考えてしまう。