感覚、知覚、認知

感覚器からの情報が脳に伝えられることにより生ずる印象が「感覚」である。感覚に強さや時間的経過などが加味されると「知覚」になる。さらに知覚が過去の経験や学習に基づいて解釈されて「認知」になる。

インタビュー調査で「ブランド○○をご存知ですか?」の問いに「知らない」と回答すれば「認知なし」「知名なし」とされる。
次にパッケージを呈示して「それなら見たことある」となれば、「パッケージ(ブランド名)は認知していた」となるか、「パッケージの記憶はあるがブランドは認知していなかった」となる。
さらにインタビューが進んで、「そういえば、CMは見た覚えがあるが、それがこのブランドのCMだとは今、始めてわかった」となったとき、「CMは認知されていたがブランドとの間にブリッジ(連結・連想)がなかった」と分析される。

この辺りの用語の使用と定義をもう少しはっきりさせた方がよいのでは、と時々思うがすぐに忘れてしまう。
・CMの「感覚」はあるが「知覚」までには至っていない。
・パッケージは「知覚」されていたが「認知」にはいあtっていない。
・このブランドの(マーケティング要素)の感覚、知覚は成立しているが、ブランド認知一歩手前である。
ということでいいのだろう。

ただ、マーケティング要素の情報は複数で錯綜しているので、ひとつの感覚器の一種類の情報(刺激)の経路をたどっても意味がないかもしれない。
上記の例でいえば、パッケージデザインとCMを同じブランドに関する複数の情報(刺激)であり、視覚、聴覚、触覚を含めた錯綜した情報経路をたどって、最終的にひとつのブランド(名)の「認知」になる。

もうひとつ気になるのはアイトラッキングのデータは「感覚、知覚、認知」のどの段階のものなのだろうかということである。