勇気をもらう。元気をもらう。

サッカーワールドカップの日本代表の試合から「勇気をもらった(もらう)」「元気をもらった」という表現が典型であろう。
このコトバは高度成長期以降に使われるようになった気がする。
少なくとも20年前にはなかったと思う。
勝手に解釈すると、オリンピックの日本代表が「(日の丸を背負うだけではなく)自分も(オリンピックを)楽しんできます」と出発の時にあいさつするようになった時期と重なる。
競技でしのぎを削るだけでなく、そのことを楽しむ余裕のある選手を見て、観客(国民)は勇気がわいてくる。というプロセスである。

当初はどちらの表現にも違和感があった。
大和言葉になりきっていない翻訳調の語感と団塊の世代以前の世代にはない発想の新しさが生んだ違和感だと思う。勇気をもらうはどこか他人行儀だし、外交辞令のにおいが付きまとう。
楽しんできます、にはそれはそれで結構だが、そんなこと堂々と口に出すなよ。という気持ちがある。

何回か聞いているうちに自分でも使いそうになったから日本語として、日本の表現として定着したのだろう。
ただ、負け試合から「勇気をもらう」ことは少ないし、負けた選手が「楽しみました」と言ったら大方は「何言ってんだよ」と反発するのだろう。