つらいのはどっち

「にほうより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ」という短歌は季節とともに口をついて出てくる。
ちょうど今の季節である。
自分の解釈としては、咲いた時は花の季節が終わろうとしている「出遅れた」山吹に感情移入して「つらい」と言っているというものであった。
作者(定家だそうだ)にも世にあわせきれない忸怩たる思いがあり、一層、暮れゆく春に春の姿で登場してしまう山吹に同情していると考えていた。

それが、ネットで見てみたら山吹に「つらし」と言わせる用語法は当時としては異様なものとなるとのこと。
山吹の花が「人につらい」という思いをおこさせると解釈すべきとのこと。
そうだとすると単に「春が終わってしまう」つらさとなり、平板な歌になってしまう気がする。
もっとも定家が作者であることを考えるとこっちの解釈が正しいのかもしれない。

花と言えば桜、は定家の時代からそうっだったのか。その桜はまさかソメイヨシノではあるまい。
山吹も庭に植えられているあざやかで八重の花ではあるまい。
写真はわかりずらいが、天覚山の山桜の大木と下山途中の山吹。

P1000171.jpg P1000173.jpg