雨は空間を狭くする

昨日は久しぶりの雨だった。
雨に煙った街は遠目がきかず、空間全体が狭まった感覚で心もしまる。
遠くが見通せないのは不安であるとともに目の届く範囲が限られて一種安心感や充実感をかもし出す。
雨の日と月曜日の憂鬱は情緒の詰まった憂鬱で心の病気とは遠い。
この雨がもたらす快い閉塞感は浮世絵の雨にはない。違ったあめの景色を描きだしてるという解説を読んだのはいつ、どこでだったか。
ニ、三日前の日経本誌(だったと思う)有名な大川の橋の上を夕立に追われる人々を描いた、ゴッホが模写したことで有名な浮世絵も確かに雨なら霞むはずの遠景がくっきりと描かれている。
絵画的なテクニックの話とは別に江戸庶民の閉塞の中に先を見通す底の抜けた楽天主義を見るのは考えすぎか。
閉塞感を閉塞と考えすぎると自閉か他者攻撃(革命)のいずれかになりそう。
閉塞を軽やかにかわす楽天しか庶民は生き抜けない。
それこそがこの民主政権の閉塞を生き抜く知恵かも知れない。
国家が破綻してもオレは破綻しない、そういった覚悟が必要である。
「身捨つるほどの祖国」はない。