マルクスの亡霊たち

ドゥルーズの「差違と反復」は5ページで投げ出しましたが、これは文庫本でなく5000円もしたので無理して読みましたが、やっぱり理解は無理でした。
まさに年甲斐もない読書です。

ところで生きることを学ぶ=教えること、それを1人で、自分から学ぶこと=自分に教えること、自分自身で学び=自分自身に教えること(私は終に生きることを学びたい=教えたい)、これは生けるものにとって不可能なことではないだろうか。これは、論理そのものが禁じていることではないだろうか。生きることは、その定義からして、みずから学ぶこと=教えることはできない。自分で、生を通じて生から、そうしたことはできない。それができるのは、他者を通じてであり、しかも死によってである。

これが導入部の一部ですが、「何のこっちゃ!」です。
自分の頭が悪いのは認めるとしてもすんなり理解できる人がいるのでしょうか。
とりあえず、
マルクスを普通の大哲学者としてあつかうこと
インターナショナルはメシアニズムなきメシアン的なものとすること
資本論は悪魔祓いの書であること
など、バラバラに印象に残ってます。
デリダはまだ生きてる?

マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナルマルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル
(2007/09/25)
ジャック・デリダ

商品詳細を見る