スタバは喫茶店?

街の喫茶店の全盛期はいつごろでしょうか?
純喫茶という女給さん(完璧な死語)のいない喫茶店しか知りませんが、「喫茶店」でイメージするのはこんな店です。

ガラスドアを押すだけで、ガードレールのない舗装路から段差もなくひと続きで店の中に入っていける。ガラスドアには目隠しと店内の様子が外からもわかる(入りやすい)ためにセンスのよくない絵やデザインがある。
店内は、数年間は物置としてしか使われていないカウンター席があり、その反対側に4人がけのインベーダーゲームのテーブルが4つか5つあって、ついたて代わりの観葉植物が天井で折れ曲がっている。
同じ商店街の薬局の店主が報知新聞を広げたまま、マスターと顔も見ないで昨夜の藤田監督の選手起用を大声で批評しあっている。もう一人の客は近所の零細企業のサラリーマンで朝から居続けて店の週刊誌の山からアサヒ芸能を引っ張り出して読んでいる。それもたぶん3日前も読んでいた号をである。タバコの煙ががもうもうと立ちこめ、マスターの娘が出勤してきて入り口のドアを開けて換気している間は道路の騒音で会話もままならない。
このマスターの娘が出戻りで、赤ん坊を抱えながらカウンタの奥に入って行く後ろ姿は、いつもの疲れたミニスカートから肉感的とも言えなくはない2本の素足が出てその先はサンダル。(これも死語)
出戻った理由がわかるような、わからないような色気がある。

コーヒー、アイスコーヒー、紅茶、コーラにどういうわけか「かき氷」がメニューにあり、冬場でもメニューから消えない。
昼は日替わりランチの他にナポリタンが人気で、刻んだウインナソーセージとわずかなタマネギをケチャップだけで味付けした、うどんのようなスパゲティが固まりとなって大皿の上に乗ってくる。
それをまた、ズルズルと音をたてて吸い込む客がいて、たいがいそいつは片手でテレビゲームのレバーを握っている。

こんな時間が止まったような店は、道路という道路にアリバイ工作のめのガードレールを作った警察と建設省、さらには高度成長によるこじゃれた街作りプロジェクトに追われ、バブルの地上げ屋にトドメをさされて絶滅していったのです。
自分でも喫茶店は死語となり、スタバが一般名詞になりつつあります。
これでいいのだ。きっと。