擬似的空間無視とアイトラッキング

池谷裕二先生の『ココロの盲点』ネタの第3弾。今回は認知バイアスは擬似的空間無視、リサーチはアイトラッキングがテーマです。

擬似的空間無視とは、「一般に右利きの人は、視野の左側を重要視します。映像処理は右脳のほうが得意だからです」と説明されています。例として男性の髪型で右分けと左分けのイラスト(反転すれば全く同じ絵)を呈示し、どちらが魅力的かを聞くと右分けと答える人が圧倒的に多い。ということを上げています。自分も「右分け」を選択しました。

頻繁ではありませんが、アイトラッキング装置を使ったリサーチを行います。パッケージデザインのテストやチラシなどのレイアウト評価に使うことが多いようです。このアイトラの分析での法則があります。チラシなど四角形の画面をアイトラッキングさせると、画面の左上にまず、注目してそこに視線がとどまる時間も長く(よく注目している)次に斜め右下に移って、最後が右下を中心にした外周となります。確かめてはいませんが、左から文字を書く文化圏(アラビア文字)でも同じ反応だそうです。文化には関係なく進化論的理由なのかもしれません。

アイトラでよく使われる棚割りでも消費者の視線は左から右に動くことが観察されています。(いわゆる視線の高さのゴールデンゾーンを左から右に動くから、新製品は棚の左側に置け。となります)

この視線の動きのクセはWeb画面でも再現されます。わからないのは丸い画面や三角形だったらどうなるのかということです。普段は大きな関心を持ちませんが、認知の前の生理的なクセ(バイアス)も時々は考えるべきでしょう。

確証バイアスとマーケティング

池谷裕二先生の『ココロの盲点』をネタにマーケティングリサーチを語る第2弾。今回は、最もよく話題になるのではないかと思っている「確証バイアス」 池谷先生は、我々の脳は、「自分の仮説や信念」に一致する例を重要視する傾向があると、確証バイアスを説明している。

確証バイアスはマーケティングリサーチに限らず世の中にあふれている。このバイアス抜きの認知を得るには全てに統計学的検証が必要になる。統計学から一番遠いのが我々が生活する社会である。

まず、リサーチを企画するマーケターにもこの確証バイアスがある。「キャンペーンは売上数を増やす」との認知はキャンペーンをやるたびに強化されるかというとそんなことはなく、売り上げ増に貢献しないキャンペーンもある。しかし、担当者はそういった結果は無視し、効果的なキャンペーンだけに注目する。この確証バイアスに意識的にならないとマーケティング施策の革新は生まれず、マンネリ化する。

池谷先生は、「雨男(女)、晴れ女(男)」や血液型性格を確証バイアスに挙げているが、我々がリサーチでよく使う「対象者特性」の多くも確証バイアスかもしれない。高感度層(人間)、イノベーター度、インフルエンサーなどは、いくつかの質問への反応数などで指標化するのでバイアスは少ないだろうが、自動車に関しては高感度だが住宅については関心なし、というようなことは頻繁にある。なのに一度高感度人間と分類すると他の分野でも高感度としてしまい、「やっぱりね」という情報にしかアクセスしなくなる。

インタビューの対象者の確証バイアスはたくさんある。いっとき、FGIの自己紹介で「自分は他の人からどんな人と言われているか」を発言させたところ、5人のうち3人が「よく天然と言われる」との回答だった。3人も天然\がいたらグループインタビューは難しい(あるいは簡単すぎる)と思い、「どうしてそういわれる?」と質問を返したら直近での友人、家族との会話で説明された。(今朝も娘に言われた)

この程度ならかわいい(テーマに関係ない)ものだが、あるブランドの購買理由が価格(安いから)であった場合など、対象者は直近の買い物時の価格ではなく、体験した「最安値」の発言をする。このブランドはいつも安いという認知が仮説よりも信念になってしまって「安かった」情報だけにアクセスするようになったのであろう。ただ、価格のように数値表現できるものは確証バイアスは比較的簡単になくなるが、健康食品、サプリメントの「効く」「○○にいい」は確証バイアスそのものである。「効く、いい」との信念を先に作って(認知させて)しまえば、効果があったような気がした時だけアクセスするので、ラクな商売ができる。

マーケティングは確証バイアスを強化する戦略を取った方がよいのか。ほんとうか。

 

利用可能性ヒューリスティックと質問文

池谷裕二先生の『ココロの盲点』をネタに定性調査の質問の仕方、定量調査の質問文の作り方の注意点をシリーズで書いていく。今回は第1回。

 

①古くから「愛の力は金にまさる」と言われますが、そう思いますか

古くから「金の力は愛にまさる」と言われますが、そう思いますか

の2つの質問文はどちらも過半数の「そう思う」回答を得る。という事例を上げている。

これは利用可能性ヒューリスティックで脳は思い出しやすい情報に影響されるということである。「こんなに簡単に思い出せるのだからそうなのだろう」と判断してしまう。

愛の力が金にまさる事例も金の力が愛にまさる事例も簡単に思い浮かべられるので「そう思う」と回答してしまう。

ここで、リサーチの立場で言うと古くから「・・・・」と言われますが、の質問文が問題である。ダブルバーレル的質問である。古くから言われていることの認知と愛と金とどちらがまさるかの質問がダブって入っている。

本来は、古くから言われていることを知っているか、の質問と愛と金はどちらがまさると思うかの質問を別々にすべきである。

マスコミ関連ではこの利用可能性ヒューリスティックを使うことが多い。例えばあまり浸透していないコトバの認知度を取るとき、しかもその認知率が高いことが報道上有利な場合などに使われる。「・・・という報道がありますが」「・・・という人が多いということですが」などヒューリスティックを直接的に表現している場合がある。

最近、ある会社が実施した『母親に聞いた!「AIとSTEM教育に関する意識調査』というレポートでは、質問文が「Q3 2020年から小学校でプログラミング教育が必修化されるとの報道があります。あなたはそのことをご存知でしたか?」とプログラミング教育必修化の認知を聞いている。(報道を知っているか、報道内容を知っているかの2つがまぜこぜで質問されている)明らかに認知率が高い方に誘導したい調査者の気持ちが出ている。プレス発表が目的の調査ならおおめに見られるが、企業のマーケティングのための調査では禁じ手である。

 

マズローの発展5段階説

欲求段階解説のマーケティング的解釈の備忘録

 

1980年代にマズローによって提唱された人間の欲求の発展段階説。

ヒトの成長、発達段階を順を追って解説したもので、生物としての存在からやがては唯一無二の「何か」になろうとする人間の欲求を5段階に分けた。(のちに宗教的ともいえる6段階目を持ち出したそうである)

第一段階は生理的欲求である。

生きていくために最低限必要な食べる、排せつする、眠る欲求でこれのどれかが決定的に不足すると生きていけない。

第二段階は安全欲求である。

環境(天候・気候)や外敵から身を守る欲求である。寒暖・雨風雪から身を守る衣服、住居や野生生物や他(同じ)共同体の人から攻撃を撃退しないと生きていけない。

第三段階は社会欲求・愛の欲求と言われている。

これは関係性欲求と自分は解釈している。群れや家族単位を超えた関係性を持ちたいという欲求である。愛まで行くとキリスト教的価値感が色濃く感じられるので、一人では生きていけない社会的な関係性を持ちたいとの欲求が社会を形成して生きるヒトには必要である。くらいの解釈である。

第四段階は承認欲求である。

これも関係性欲求と解釈できるが、単なるつながりではなく「なくてはならない人」と誰かに認められたいという欲求である。単なるネットワークのノードではなく確かなハブになりたいとの思いと言えるか。Webの発展で誰もがこの承認欲求の地獄を見るようになってしまったのが現在、ともいえる。

第五段階が自己実現欲求である。

普遍的価値、芸術的価値を生みたいという欲求と解釈されるが、もっと一般的に一種の「悟り」かもしれない。諦念的なことは除いて、周囲の価値判断を尊重しつつももそれに流されるだけであくせく行動するようなことがなくなる状態であろう。コンセプチュアルな欲求である。

 

以上の発展段階説をチョコ菓子「キットカット」のマーケティング的解釈に使ってみたい。

第一段階は生理的欲求だが、お菓子で言うと「お菓子としての基本的なスペック」である。素材、製造過程についてそろえなければならない要素である。

第二段階の安全欲求はパッケージングと解釈できる。安全・清潔に崩れることなく消費者の元に届けなくてはいけない。

第三段階と第四段階は一緒に扱って、コミュニケーションにまとめられる。キットカットというネーミング、パッケージデザイン、広告、キャンペーンを含めていわゆる「情報価値」の演出である。これがないと消費者の承認は得られない。後、流通の確保もここに入る。

第五段階がコンセプト、ベネフィットである。第四段階までのマーケティングミックスを差別性のある魅力的なコンセプトに仕上げなくてはいけない。ここまでたどり着けばブランドとして社会的(市場・消費者)に認められる。

 

以上のように一見、切れ味の鈍いように見える発展段階説は、ラダリング分析の時などは、はっきりと意識的に使うべきである。

 

認知的不協和論

認知的不協和マーケティング視点でまとめておく備忘録

認知的不協和とは消費者の認知・行動特性のこと。


人はある(選択)行動を行うと必ず「それとは反対の行動の方がよかったのでは」との認知の不協和が生まれる。(ベンツを買ったけど、「BMWの方がよかったかな?」という反応や、クルマを買う行動そのものに「買わなきゃよかった」という反応)

この認知的不協和を解消するには「行動」を変える(ベンツを買うのをやめる)のが合理的だが、ほとんどの場合、人は行動ではなく「認知」の方を変える。変えるように努力する。という仮説。

ベンツを買って認知的不協和が発生したら、販売店に戻るのではなく、
 ・ベンツのよいところを探して、見つけて自分の認知の不協和を解消しようとする。

 ・ベンツに関わるモノ、情報に積極的に接触する。(ベンツの広告を最もよく見るのはベンツユーザーである。) → これは広告効果とはいえないのか?

 ・ネット検索でベンツの好意的な書き込み、口コミを積極的に見る。

のようにして認知を変えることで不協和を解消しようとする。
自分の選択は間違っていない、ベンツを買ってよかったと(無意識に)ベンツを買った自分を説得するのである。

逆に、 

 ・BMWのマイナス情報に敏感になる

ことでも認知的不協和を解消することができる。

これは、行動特性だが、一般的に、行動を変えるより認知を変える方がコスト(心理的も含めて)がかからない、安上がりという背景がある。

返品自由・無料のネット通販でも梱包などの作業負担が抵抗(コスト)になって、「コレがいいじゃないか、似合うじゃないか」と認知の方を変えるケースが多いと言うことである

認知的不協和の概念そのものは1950年代にアメリカの心理学者フェスティンガーによって提唱された。

ペルソナにしばられる

ペルソナに基づいたマーケティングを企画していると非常に「不自由」を感じることがある。ペルソナが、わがままで頑固な上司のようにふるまってこちらの自由な発想を頭から否定してくるように感じるのだ。「ここはこの方向で行きたい」と考えるのに「イヤ、ペルソナはそんな方向性には見向きもしない」と否定される場面である。

ペルソナは演劇用語がその起源らしいが、まさにかぶったペルソナ(仮面)が俳優の演技をがんじがらめにして俳優の創造性を奪うことになる。

こういう事態に陥ったときは、まず、ペルソナビルドに失敗していることが多い。

 ・ペルソナビルドを「何に使うか」の目的があいまいだった。

 ・調査データやモデルにこだわり過ぎて、マーケティング要素が足りていない。

などの場合が多い。

ペルソナビルドの最初にこのペルソナはどんなマーケティング場面のどこまで使うかを確認・合意しておかないとペルソナがモンスターになってしまう。製品開発に使う目的で作ったペルソナを異なるジャンルの製品のプロモーション企画には使えない。

あくまでもペルソナはマーケティングに使うのだから、マーケティング要素は網羅しておく。それなのに「人物像」を作ることに関心が強くなりすぎて心理・性格要素ばかりで、ペルソナがマーケティング場面でどう振る舞うかがわからなくなる。ペルソナはマーケティングの舞台で生き生きと演技してもらうようにしたい。

まったく「しばり」のないペルソナは意味がないが、がんじがらめになる印象が強かったら、ペルソナを再構成すべきである。このへんの匙加減は難しい。

 

 

ペルソナビルドは平均値思考を捨てること

マスマーケティングが否定され、市場や消費者は必ずセグメントされ、セグメントの中からターゲット層を選定する。

そのターゲットに向かってマーケティング努力を集中させるためにターゲットのプロファイリングを行う。

プロファイリングは、性・年齢などのデモグラ特性、行動特性、心理特性などの指標を使って行われる。それらの分析で自分たちのターゲット像が明確になりブランド開発やプロモーションの企画の基準ができる。

ターゲティングができたので、分析はここで終わらせてマーケティング施策の企画作業に移るわけだが、分析がこれで終わりとならない場合がある(むしろ、終わらないことが多い)理由は、ターゲティングのエッジが鈍いのである。具体策を考えるには漠然としすぎたプロファイルなのである。

ターゲットプロファイリングの多くは、「都会に住む、未婚で、年収400~500万円のアウトドア指向の30代男性」程度のプロファイルで終わる。これ以上プロファイル指標を増やすと細分化されすぎて、セグメントといえなくなる。(市場規模が予測できない)都会に住むと言っても湾岸のタワマンから吉祥寺ワンルームまで都会であり、未婚でも恋人がいるいないでは違う。年収も490万ならほぼ500万の生活になる。アウトドア指向の程度もはっきりしないし、30歳なら20代といってもいいだろうし、38歳ならアラフォーと言える。ということでプロファイルが崩れていってしまう。

そこで、ペルソナビルドが必要になる。ターゲットを典型的な人物像にしていくのがペルソナビルである。

ペルソナのマーケティング的効能として「チームメンバーのターゲット像が集約されて人によってブレることがない」ので「意見対立や方向性の違いが発生してもペルソナに聞くことでメンバーの合意が得やすい」ことから「初期のターゲット像がいつの間にか変わってしまった」という失敗が少なくなるのである。

平均値思考のターゲットプロファイリングは「そんなヤツどこにおるんや?」との疑問が発生し易いが、ペルソナは「分散のない1人の個人のプロファイリング」になるので具体性が保証される。もちろん、メンバー全員が納得できるペルソナを作る必要がある。最悪は、全員の納得を得るために「じゃ、年齢は24~32歳までにしておこう」と妥協することである。

ペルソナは平均値思考からは作れないし、安易な妥協はしてはいけない。